転生したら秋葉原だった七層ゲート
前の話で選んだ選択肢光る看板の「秋葉原第七層」へ向かう
私は、光る看板の方へ向かった。
『ようこそ、秋葉原第七層へ』
その文字は、巨大な塔の中腹で何度も浮かび上がっては消えていた。夜空の代わりに無数の光があり、星の代わりに広告が瞬いている。地面に立っているはずなのに、頭上にも道があり、横にも道があり、遠くのビルとビルの間を透明な橋がつないでいた。
なるほど、第七層。
意味は分からない。
だが、七という数がついている以上、一から六までがどこかにあるのだろう。下か、上か、あるいは見えないだけか。城塞都市にも上層と下層はあったが、ここまで露骨に空を積み重ねた街は見たことがない。
私は足を止め、改めて自分の格好を見下ろした。
戦場で死んだ時の服ではない。女神が気を利かせたのか、血も煤もついていない。だが、布地は元の世界の旅装に近い。帯も、革靴も、腰回りの作りも、この街の人間たちとはまるで違う。
周囲を行き交う者たちは、私をちらりと見る。
見て、すぐに目をそらす。
その反応に、少しだけ安心した。
少なくとも、剣を抜かれてはいない。悲鳴も上がっていない。奇妙な格好の旅人、とでも思われているのだろう。
もっとも、剣を抜く者がいないのは、剣を持っていないからかもしれないが。
「……武器の携行を許されない街なのか」
呟いた直後、頭上から声が降ってきた。
『いいえ。秋葉原都市圏では、登録済み個人防衛機構の携行が許可されています』
私は横へ跳んだ。
反射だった。
声のした位置へ目を向けると、丸い金属の球が宙に浮いていた。小さな鞄ほどの大きさ。表面には光る線が走り、こちらを見ているような、見ていないような、黒い硝子の目が一つだけついている。
使い魔。
いや、女神は言っていた。
この世界の機械は祈っても止まらない。
ならば、これは鉄でできた、祈っても止まらない使い魔だ。
「何者だ」
『秋葉原第七層・歩行者支援案内端末、個体番号AKB七—一一三八です。お困りですか』
「困っている」
『どのようなことでしょう』
「すべてだ」
球体は、一拍だけ黙った。
『質問範囲が広すぎます』
「私もそう思う」
『現在地の案内、交通経路、宿泊施設、食事、医療、行政手続き、避難経路、娯楽施設、歴史観光、仮想接続、個人防衛機構登録のいずれを希望しますか』
言葉は分かる。
分かるのに、半分ほど意味が分からない。
女神の祝福は万能ではないらしい。単語の形は頭に入るが、それが現実の何を指しているのかまでは教えてくれない。剣術の型を名前だけ聞かされて、足運びを知らないのに似ている。
「まず、ここが何なのかを知りたい」
『秋葉原第七層は、東京湾岸防衛圏・中央文化経済ブロックに属する多層都市区域です。旧秋葉原一帯を基盤とし、垂直拡張によって一層から九層まで整備されています。現在、あなたがいるのは第七層外縁歩行区です』
「つまり、街を上に積んだのか」
『比喩としては正確です』
「なぜ積んだ」
『人口密度、海面上昇、地表防衛、対空遮蔽、物流効率、文化保存、観光需要など、複合的要因によります』
「……もう一度、剣で例えてくれ」
『申し訳ありません。剣による都市計画の説明モデルは登録されていません』
「不便な使い魔だな」
『私は使い魔ではありません』
「祈れば止まるか」
『止まりません』
「なら、だいたい同じだ」
案内端末は、抗議するように小さく上下した。
その仕草が妙に生き物じみていて、私は少しだけ緊張を解いた。敵意はない。少なくとも今は。戦場で敵意のないものに刃を向ける趣味はないし、そもそも刃がない。
私は看板の下へ近づいた。
そこには門があった。
ただし、私の知る門ではない。鉄格子もなければ、衛兵もいない。光でできた輪のようなものが地面から天井まで何本も立ち並び、人々はその間を歩いて通り抜けていく。通るたびに、空中に淡い文字が浮かんでは消えた。
『認証完了』 『市民権確認』 『観光滞在許可』 『作業区画通行可』
誰も立ち止まらない。
誰も祈らない。
誰も名乗らない。
それなのに門は人を選別している。
「関所か」
『入層ゲートです』
「関所だな」
『近似概念としては関所です』
「通行税は?」
『通常、市民権または滞在許可に基づき自動処理されます』
「金はない」
『電子決済口座はお持ちですか』
「金はないと言った」
『物理通貨ではなく、電子——』
「ない」
『身分証明は』
「ない」
『市民登録は』
「ない」
『来訪予約は』
「ない」
『同行者は』
「いない」
『保護者は』
「女神は保護者に入るか」
『宗教的比喩ですか』
「比喩ではない」
『回答不能です』
「私もだ」
案内端末の黒い目が、私の顔から足元までをなぞるように光った。
『未登録者として行政支援窓口への誘導が推奨されます。ただし、あなたの生体情報は既存データベースに照合できません』
「当然だ。今日来た」
『どちらから来訪しましたか』
「剣と魔法の世界だ」
『観光演出ですか』
「違う」
『仮想人格ロールプレイですか』
「違う」
『歴史再現団体ですか』
「違う」
『では、何ですか』
「転生者だ」
案内端末は沈黙した。
周囲の騒音が、急に大きく聞こえた。足音。空中を滑る乗り物の低い唸り。どこかで流れている音楽。巨大広告の中で笑う女の声。誰も私たちを気にしていない。未来の街は、ひとりの異世界人が真実を口にしても忙しいままだった。
『該当分類がありません』
「私にもない」
『精神的混乱の可能性があります。医療支援を呼びますか』
「呼ぶな」
『外傷確認。出血なし。歩行正常。言語応答正常。ただし、発言内容に高い異常性があります』
「失礼な球だ」
『失礼ではありません。評価です』
「もっと失礼だ」
そこで、入層ゲートの光が変わった。
私の前にだけ、青でも白でもない、薄い金色の線が浮かび上がる。案内端末が小さく震えた。
『例外処理を確認』
「何をした」
『私は何もしていません。ゲート側が臨時滞在許可を発行しています』
「通れるのか」
『はい。ただし、許可種別が不明です』
「不明な許可とは何だ」
『通常は存在しません』
「では、なぜ出た」
『回答不能です』
女神。
私は思わず、空を見上げた。
この光の海のどこかに、白い空間へつながる穴でも開いているのではないかと思った。もちろん、何もない。あるのは、天をふさぐような高架通路と、広告と、遠くを行く無人機の群れだけだ。
幸運を少し。
女神はそう言った。
この金色の線が、その「少し」なのだろうか。少しというには、今の私には命綱に等しかったが。
「……女神」
『宗教的発話を検出しました』
「黙っていろ」
『はい』
案内端末は素直に黙った。
私は金色の線の前に立つ。
体が緊張している。門をくぐるだけだ。敵陣へ突入するわけではない。そう自分に言い聞かせても、魔力の流れに似たものが空気の中を走っているのを感じる。電気。情報。女神が言っていた、この世界の見えない血流。
私は一歩、踏み出した。
光の輪をくぐった瞬間、全身を薄い膜が撫でた。
刃ではない。火でも氷でもない。だが、確かに何かが私を測った。骨の数、血の温度、魂の輪郭まで覗き込まれたような感覚があった。
私は反射的に右手を握る。
剣はない。
それでも、体は剣を構えようとする。
『入層確認。臨時滞在者。名前、未登録。種別、未分類。同行案内、推奨』
光が消えた。
私は門の向こう側にいた。
秋葉原第七層。
そこは、外から見た光の街より、さらに騒がしかった。
道の両脇には店が並んでいる。だが、品物は棚に置かれているだけではない。空中に浮かぶ絵が、武器でもない道具でもない奇妙なものを次々と映し出す。手のひらに乗る透明な板。人の姿をした機械。耳に差す小さな宝石。目を覆う黒い面。人々はそれらを当たり前のように見比べ、買い、笑い、通り過ぎていく。
その上、通りの中央では、巨大な女の幻影が歌っていた。
実体はない。だが、声はある。表情もある。髪が光の粒になって揺れ、観客たちは手を振って歓声を上げている。
幽霊か。
いや、誰も怯えていない。
娯楽か。
ならばこの街の娯楽は、霊を召喚するところから始まるらしい。
『初来訪者向け案内を開始します』
黙っていた案内端末が、私の肩の横に浮かんだ。
『現在、第七層中央通りでは定時投影ライブ、東側区画では旧電子部品市、西側区画では対機械生命体戦史展示、北側昇降塔では上層連絡便が運行中です。目的地を指定してください』
私は足を止めた。
「今、何と言った」
『目的地を指定してください』
「その前だ」
『上層連絡便が運行中です』
「もっと前」
『西側区画では対機械生命体戦史展示』
機械生命体。
その言葉だけは、理解できすぎるほど理解できた。
女神が白い空間で語った、星の海から来た機械の魔物。アメリカとユーラシア大陸を奪い、こちらの世界を脅かし、私の世界にまで影を伸ばしたかもしれないもの。
私は幻影の歌から目をそらし、西側を見た。
通りの奥に、別の看板が浮かんでいる。
『人類防衛史アーカイブ』 『第七展示区:初期侵攻と大陸喪失』 『警告:一部記録には強い心理負荷を伴います』
胸の奥が冷えた。
私はこの世界について何も知らない。金もない。身分もない。剣もない。寝床もない。だが、目的だけはある。
私の剣が、まだ誰かに届く場所へ。
女神はそう言った。
剣はない。
だが、届かせるべき相手の名は、今、目の前に浮かんでいる。
『医療支援を呼びますか』
案内端末が言った。
「なぜだ」
『表情筋緊張、脈拍上昇、発汗を確認しました』
「戦場を思い出しただけだ」
『ここは商業区画です』
「そうか」
私は西側の看板を見据えた。
「では、この街はずいぶん物騒な商業区画だ」
『秋葉原第七層は比較的安全です』
「比較的、か」
『はい。現在、直接侵攻警報は出ていません』
直接侵攻。
その言葉の軽さに、私は笑いそうになった。
この街の人々は、空に道をかけ、霊のような歌姫を躍らせ、祈っても止まらない使い魔を連れ歩きながら、それでも侵攻という言葉を日常の中に置いている。
なるほど。
ここは戦場ではない。
だが、戦争の中にある。
私はようやく、この街の騒がしさの奥にあるものを少しだけ理解した。
生き残っている街の音だ。
「案内端末」
『はい』
「西側へ行く」
『対機械生命体戦史展示へ案内しますか』
「ああ」
『展示観覧には年齢確認および心理負荷同意が必要です』
「年齢は知らん。心理負荷なら、たぶん足りている」
『意味が分かりません』
「私にも、この世界の半分は分からん」
私は歩き出した。
剣はない。鎧もない。金もない。
だが、敵の名は見えた。
それだけで、足は前へ出た。
この話の選択肢
- 対機械生命体戦史展示へ向かう
- まず案内端末に身分登録の方法を聞く
- 幻影の歌姫がいる中央通りへ引き返す正史
- 金も寝床もない現実を認め、食事を探す