転生したら秋葉原だった名前のある空欄
前の話で選んだ選択肢まず行政支援窓口で仮登録し、動ける身分を得る
「まず、登録だ」
私はそう言って、まだ湯気の残る器から手を離した。
敵を追う前に名を預ける。火元を探す前に役所へ行く。戦場の勘だけで動くなら、そんな順番はまどろっこしい。だが、この街では違う。剣より先に、記録が道を開く。
案内端末『妥当な判断です』
ミトラ『まあ、正論ではあるね』
ルミナ『正論ですが、少し意外です』
「なぜだ」
ルミナ『あなたは、すぐ火元へ向かうと思いました』
「向かいたい」
それは嘘ではなかった。壁面に残った認証遅延の表示は、食堂の明かりの下でも棘のように目に刺さっている。だが、私が何かを見つけても、誰も信じないなら意味が薄い。
案内端末『信頼度が低い、です』
「言い方を柔らかくしても、意味は同じだ」
案内端末『はい』
ミトラ『この子、正直だからね。だいたい腹立つ方向に』
案内端末『訂正要求があれば受け付けます』
ミトラ『訂正じゃなくて、空気を読んで』
案内端末『空気成分の分析ですか』
ミトラ『違う』
「安心しろ。私も半分くらい分からない」
ルミナ『隊長さん側につかないでください』
そういう分類をされても、腹は立たなかった。むしろ、少しだけこの街の会話に足がかかった気がした。
食堂を出ようとすると、ミトラが奥から小さな布を投げてよこした。反射的に受け取る。
「これは?」
ミトラ『口元。汁、少しついてる』
「すまない」
ミトラ『いいよ。初回支援だから』
「戻ったら、厨房の異常について詳しく聞く」
ミトラ『戻ったら、ね』
「戻る」
約束にするには軽い。誓いにするには早い。だが、言わないよりはいい。ミトラは一瞬だけ目を丸くし、それから笑った。
ミトラ『じゃあ、戻ってきたら皿洗いも追加で』
「登録で身分を得た直後に皿洗いか」
ミトラ『身分があっても皿は汚れるよ』
「真理だな」
*
行政支援窓口は、食堂からそう遠くなかった。旧部品市の通りを抜け、古い高架の下へ出る。
かつて線路が通っていた場所らしい。今は列車ではなく、細い配送機と点検機が低い音を立てて走っている。天井の一部には、錆びた鉄と石の土台が保存されていた。そこだけ、街の光が少し鈍い。
「これは、昔の道か」
案内端末『旧秋葉原駅周辺の鉄道高架遺構です。現在は文化基盤および低速物流路として再利用されています』
「廃墟を使っているのか」
案内端末『保存再利用です』
「きれいな言い方だ」
ルミナ『実際、きれいにしてあります』
ルミナの小型投影は、私の左肩の少し前を浮いていた。歌姫というより、小さな灯火に近い。通行人の何人かが彼女を見て会釈する。ルミナも微笑んで返す。
「人気者だな」
ルミナ『公共人格ですから』
「この世界では、歌姫は役所より強いのかもしれないな」
案内端末『行政権限の比較としては不正確です』
「そういう話ではない」
高架の柱には、古い文字が刻まれていた。『電気街口』。読めるのに、意味がすぐには入ってこない。
案内端末『旧秋葉原を象徴する地名のひとつです。電子部品、電器、計算機、娯楽文化の集積地でした』
「今もそう見える」
ルミナ『今は、大陸が滅びた時代に残ったものと、残したかったものと、防衛のために便利だから使っているものが混ざっています』
「なるほど。城下町だな」
案内端末『近似としては都市区域です』
「そうではない」
城が戦に備える時、古い井戸や道をすべて捨てるとは限らない。市場も、職人も、食堂も残す。敵を防ぐ壁を足し、新しい門を作り、それでも昔の道を使う。やがて、誰かがそれを新しい街と呼ぶ。
ルミナ『その比喩は、好きです』
「役に立つか」
ルミナ『慰撫には』
「なら、持っていけ」
案内端末『私も記録しました』
「お前は許可を取れ」
*
行政支援窓口は、高架下を抜けた先にあった。半透明の箱のような区画で、壁は薄い光の膜だった。中には人間も機械もいる。宙に浮いた表示板には、こう書かれている。
『秋葉原第七層 行政支援サテライト』
『未登録者・臨時滞在者・避難者・記録不一致者対応』
『困ったら停止せず、まず入ってください』
「最後の一文はよいな」
案内端末『停止すると通行阻害になります』
「そういう意味なのか」
ルミナ『でも、止まってしまう人が多いからです』
入口近くでは老人が案内機械に怒り、別の卓では子供連れの男が住所の重複を相談していた。未来の役所も、困っている人の顔だけはあまり変わらないらしい。
案内端末『未登録者一名。臨時滞在許可あり。同行公共人格一、歩行者支援端末一。行政仮登録を希望します』
入口の光が、私をなぞった。入層ゲートの時よりも細かい。皮膚の表面ではなく、血の奥、骨の内側、魂の縁を撫でられるような感覚があった。
案内端末『動かないでください』
「気持ちが悪い」
案内端末『安全確認です』
「安全確認は、なぜこんなに無礼なのだ」
ルミナ『相手の都合を聞かずに体を見るからです』
案内端末『必要な処理です』
「必要な無礼、ということか」
案内端末『表現としては不適切ですが、おおむね正確です』
光の膜が薄く開いた。
『受付番号:未分類』
『優先区分:身元不明・保護推奨』
『担当:行政支援人格ナギサ』
奥の卓に、黒い服の女が現れた。人間ではない。輪郭がわずかに透けている。だが、ルミナのような歌姫の衣ではない。目だけが、紙を何枚も重ねたように冷静だった。
ナギサ『こんばんは。秋葉原第七層行政支援サテライト、担当のナギサです』
「こんばんは」
ナギサ『その挨拶が適切か確認してから返答しましたね』
「見抜くのが早い」
ナギサ『仕事です』
「では、こちらも仕事として答える。私は仮登録をしたい」
ナギサ『承知しました。まず、あなたの現在の登録名を確認します』
「登録名はない」
ナギサ『出生登録名、戸籍名、市民圏名、避難者名、軍属名、仮想人格名、団体名、宗教名、芸名、通称、いずれもありませんか』
「多いな」
ナギサ『名前は多いです』
「元の世界の名ならある」
ナギサ『では、それを申告しますか』
私は黙った。
名は、剣よりも扱いが難しい。前の世界での名は、部下が呼んだ名だ。王都で記録された名だ。死者名簿に載ったかもしれない名だ。ここで出せば、それはこの世界に結ばれる。
ルミナ『無理に名乗る必要はありません。仮名でも登録できます』
案内端末『ただし、本人が応答可能な呼称が必要です』
ナギサ『あなたが呼ばれて振り向ける名であれば、仮登録名として使用できます』
「呼ばれて、振り向ける名」
隊長。それも振り向ける。だが、それは役目だ。名ではない。今の私は、また立ち止まるために来たのではない。今度は、生きろと言われている。
「クオ」
口に出すと、思ったより短かった。だが、胸の奥に落ちた音は軽くなかった。
「クオだ」
ナギサ『クオ。表記確認。ク、オ。二音名。姓はありますか』
「ない、でいい」
ナギサ『旧登録との照合はできません。仮登録名クオとして処理します』
案内端末『本人応答確認。クオ』
案内端末が私を見る。私は一拍遅れて答えた。
「ああ」
ルミナ『反応しました』
ナギサ『反応確認。では、以後この窓口ではクオさんと呼称します』
「さん?」
ナギサ『敬称です』
「身元不明でもか」
ナギサ『身元不明でもです』
その一言が、妙に胸に引っかかった。この街は失礼な記録をたくさん取る。体を勝手に測り、発話を残し、空腹まで聞き逃さない。だが、身元不明者にも敬称を付ける。乱暴なのか、優しいのか、まだ判断がつかない。
ナギサ『次に、来訪経路を確認します。どちらから来ましたか』
「剣と魔法の世界だ」
ナギサ『申告内容をそのまま記録します。剣と魔法の世界。補助分類、異世界申告者』
「信じるのか」
ナギサ『信じる、信じないではなく、申告として扱います』
「悪くない」
ナギサの背後に、薄い板がいくつも浮かんだ。私の体の輪郭らしき図が表示され、赤や青の印がついていく。
ナギサ『生体照合、該当なし。市民圏記録、該当なし。避難者台帳、該当なし。軍属、該当なし。犯罪警戒照合、該当なし』
「ないものばかりだな」
ナギサ『魔力様反応、未定義』
空気が変わった。案内端末の黒い目が細くなる。ルミナの小型投影が、一瞬だけ明滅した。
「今、何と言った」
ナギサ『魔力様反応、未定義。正式な検査項目ではありません。古い研究分類の残存項目です』
案内端末『ナギサ、その項目は現行行政支援には不要です』
ナギサ『不要ですが、表示されています』
ルミナ『なぜ表示されたのですか』
ナギサ『本人の生体情報に、既存の電磁・量子・神経・仮想接続のいずれにも分類されない微弱な連続反応があります。旧研究分類が参照されました』
「魔力に似ている、ということか」
ナギサ『似ているかどうかは分かりません。項目名がそう残っているだけです』
「この街には、そういう研究もあったのか」
ナギサ『ありました。ただし、日本本土が戦場になった記録ではありません。他国で発生した侵食事例や都市崩壊ログを、日本国内の隔離環境で解析した研究です』
「敵を招き入れたわけではないのだな」
ナギサ『招き入れないための研究でした』
「便利なものは、だいたい危ない」
ルミナ『さっきも言っていましたね』
「何度でも言う」
ナギサ『クオさん。あなたを通常の臨時滞在者として登録することはできません』
案内端末『登録不能ですか』
ナギサ『いいえ。通常ではなく、保護付き仮登録になります』
「何が違う」
ナギサ『移動可能範囲、支援内容、通報権限、保護責任者、同行端末の義務が変わります』
案内端末『あなたは一人で好き勝手に動けません』
「急に分かりやすいな」
ルミナ『正確すぎる言葉が、今回は親切でした』
ナギサ『保護付き仮登録を受け入れますか』
「受け入れれば、旧部品市へ行けるか」
ナギサ『外縁までなら可能です。ただし、同行端末を離さないこと。異常を発見した場合、自力対処ではなく通報すること。危険警告が出た場合、退避命令に従うこと』
「最後が難しい」
案内端末『そこを最初に受け入れてください』
「退避命令には、従う努力をする」
案内端末『弱いです』
「だが嘘ではない」
ナギサ『許容します。保護付き仮登録は、本人特性を含めて扱います』
卓の上に、細い光の輪が現れた。腕輪かと思ったが、物ではない。光だけだ。私の右手首に近づき、触れる寸前で消える。代わりに、皮膚の上へ小さな文字が浮かんだ。
『クオ』
『保護付き仮登録』
『同行端末:AKB七—一一三八』
『有効期限:七十二時間』
『通報権限:低』
『移動権限:第七層一般・旧部品市外縁まで』
「腕に書かれた」
案内端末『皮膚投影です。実体はありません』
「なるほど。焼き印よりはましだ」
その場の三者が、同時に沈黙した。
ルミナ『……焼き印?』
「私の世界では、罪人や奴隷に印を焼く国もあった」
ナギサ『この仮登録は所有印ではありません』
ナギサの声は、初めて少し強くなった。
ナギサ『保護と識別のための一時情報です。あなたは行政の所有物ではありません』
「そうか」
ナギサ『はい』
「それは、よいことだ」
短い言葉しか出なかった。だが、本当にそう思った。記録ではある。管理でもある。制限もつく。だが、少なくともこの窓口は、私を物として扱うつもりはないらしい。
ナギサ『登録完了。クオさん、あなたは七十二時間、秋葉原第七層の保護付き仮登録者です』
案内端末『クオさん、これで行政支援経路から通報できます』
「さんを付けるな。慣れない」
案内端末『では、クオ』
「急に近い」
案内端末『調整が難しいです』
ルミナ『クオさん、でいいと思います』
「お前まで」
ナギサ『次に、現在発生中の局所的認証遅延について、あなたからの観察申告を受け付けられます』
「観察申告」
ナギサ『未登録者の発言ではなく、保護付き仮登録者クオさんの申告として扱えます。信頼度は低いままですが、無視はされません』
「無視されないなら十分だ」
背後の表示板が黄色く光った。
『東側旧部品市:認証遅延 継続』
『旧線路下保存層:一部センサー応答なし』
『市民活動に支障なし』
旧線路下保存層。さきほど見た高架の下、古い鉄と石の残る場所。未来の街の底に置かれた、記憶の倉庫。
「市民活動に支障なし。だが、センサーは応答していない」
ナギサ『はい。現時点では、市民活動に直接の支障はありません』
「ナギサ。申告する」
ナギサ『どうぞ』
「私は、この通信干渉を、私の世界で結界に針を刺された時の乱れに似ていると感じた。魔法かどうかは分からない。だが、流れの本体ではなく、影に触れている。火元は、旧式機器の多い場所にあるかもしれない」
ナギサは一言も遮らなかった。背後の文字だけが、静かに増えていく。
ナギサ『申告を受理しました。分類、異常感覚申告。参考情報として都市安全系へ送信します』
案内端末『送信完了を確認』
ルミナ『これで、ただの未登録者の独り言ではなくなりました』
「ずいぶん大きな差だな」
ナギサ『社会とは、そういう差の積み重ねです』
名を得た。身分を得た。それでも、街の奥で何かが軋んでいる。
ナギサ『クオさん。次の行動を選択してください。行政支援として推奨順を提示できます』
「聞こう」
ナギサ『第一に、ここで詳細な保護面談を受ける。第二に、同行端末とルミナの案内で旧部品市外縁を確認する。第三に、戦史展示で機械生命体に関する基礎知識を得る。第四に、食堂へ戻って休息する』
案内端末『第一を推奨します』
ルミナ『第二を選ぶなら、私も同行します』
ナギサ『第三は心理負荷があります』
「第四を選ぶと、ミトラに皿洗いをさせられるな」
ルミナ『たぶん』
案内端末『皿洗いは行政上の義務ではありません』
「飯の借りは、行政より重いことがある」
私は右手首の表示をもう一度見た。クオ。その二文字が、光って消えた。
私は、未登録の来訪者ではなくなった。
ただし、まだ何者でもない。
だからこそ、次の一歩を選ばなければならない。
この話の選択肢
- 戦史展示へ向かい、敵を知る正史
- 旧部品市外縁へ向かい、認証遅延の「影」を追う
- 行政支援人格ナギサに、魔力様反応と過去研究について聞く
- 食堂へ戻り、ミトラに仮登録の報告をして厨房異常の詳細を聞く