NoveLoreノベロア・物語の冒険者ギルド
転生したら秋葉原だったall

転生したら秋葉原だった古い靴と偽物の剣

前の話で選んだ選択肢朝食を取りにアキバ炊事場へ向かい、ミトラに労務で支援物資の借りを返せるか相談する

 秋葉原の朝は、城下町の朝とは違っていた。鶏は鳴かない。井戸端の桶の音もしない。代わりに、透明な配送管の中を小さな箱が滑り、歩行デッキの縁では清掃用の小型機械が夜の埃を吸い込んでいる。低層の看板は一枚ずつ明るさを取り戻し、旧高架を模した通路の下で、まだ半分だけ眠っているような店が開き始めていた。

 だが、朝に腹が減ることだけは、前世と変わらなかった。

「腹が減った」

案内端末『正常です』

「正常か」

案内端末『昨日の摂取量、活動量、睡眠時間を考慮すると、むしろ遅い申告です』

ナギサ『朝食を推奨します。候補は三つあります。短期滞在区画の配給端末、保護付き仮登録者向け栄養支援、または第七層共同食堂・アキバ炊事場です』

「炊事場だ」

 私は即答した。昨日の夜、私はあの場所で、この世界で初めての食事をした。箸という奇妙な道具に苦戦し、支援食のラーメンを食べ、ミトラに「隊長さん」と呼ばれた。戻る、とも言った。なら、戻るのが筋だ。

ルミナ『ミトラさんのところですね』

「ああ。飯もうまかったし、話もしやすい」

案内端末『公共支援手続きの方が早い可能性があります』

「早いだけで選ぶなら、昨日、研究倫理記録を開いていた」

 案内端末が黙った。勝った、と思った。

ナギサ『その比較は少し乱暴ですが、判断は理解できます。ミトラは旧部品市側の生活事情に詳しく、支援制度の外側にある実用品について情報を持っている可能性があります』

「公共の支援装備は最低限なのだろう」

案内端末『最低限ですが、基準は満たします』

「基準を満たすものが、必ず使いやすいとは限らない」

 前世の軍でもそうだった。支給品は悪くない。だが、長く生き残る者は、靴紐一本、外套一枚、鞘の留め具一つまで、自分に合うように選んでいた。良い装備とは、必ずしも新しいものではない。壊れ方を知っているもの。直し方が分かるもの。身体に馴染むもの。そして、危険な時に余計なことをしないものだ。

「古くても、いいものを知っている人間に聞くべきだ」

ルミナ『ミトラさんなら、知っていそうです』

案内端末『合理性はあります。ただし、古い装備は認証補助や医療連携が不足する場合があります』

「不足している方が、安全な場合もあるだろう」

 私がそう言うと、ナギサが少しだけ沈黙した。

ナギサ『……第三退避記録庫や歌唱同期の件を考えると、都市網へ常時接続しない装備には一定の価値があります』

案内端末『補足。非接続装備は便利ではありません』

「便利ではないことが、今は長所になる」

案内端末『あなたは文明を理解し始めたのか、拒絶し始めたのか判断に迷います』

「たぶん両方だ」

 ルミナが小さく笑った。歌ではない。だが、朝の空気にはそれでよかった。

 短期滞在区画から旧部品市側へ向かう通路は、昨日通った道と似ているはずなのに、朝の光の中では別の場所に見えた。中央通りの華やかな立体広告は、まだ全力ではない。夜の名残を残した看板の隙間から、実用的な店の表示が浮かんでいる。配線材。旧規格変換具。微細工具。修理受付。古物再整備。新しい都市の中に、古い手触りの商売が生きていた。

 私は自分の袖を見た。前世から持ち越した布の服。見苦しいほどではないが、ここでは明らかに浮いている。周囲の人間たちは、薄い上着や作業服のようなものを着ている。表面に細い線が走り、歩くたびに光がわずかに動く。あれが認証補助なのか、温度調整なのか、私にはまだ分からない。

 ただ一つ分かるのは、今の私は旅人ですらないということだった。装備を失った兵士。登録だけはあるが、生活の形がない人間。その状態で深い記録庫へ行くのは、たしかに順番がおかしい。

「クオさん」

 ルミナが隣で呼んだ。

「どうした」

ルミナ『人が見ています』

「やはり目立つか」

ルミナ『少しだけ。でも、怖がられてはいません』

「ならいい」

案内端末『良くはありません。不要な注目は避けるべきです』

「昨日から私の人生は不要な注目だらけだ」

ナギサ『その点は否定できません』

 アキバ炊事場は、昨日と同じ場所にあった。旧部品市側の少し奥。看板は派手ではない。だが、朝の通路に漂う湯気と出汁の匂いだけで、そこが食事を出す場所だと分かる。

 入口の横には、昨日よりも多くの人がいた。作業服の老人。部品箱を抱えた若い女。片腕だけが金属の義手らしい男。小さな端末を胸に下げた子供。皆、慣れた様子で列に並び、器を受け取り、席へ流れていく。戦時下の都市でも、人は朝飯を食う。その事実が、昨日よりも強く胸に来た。

「いらっしゃ……あれ」

 白い上着のミトラが、湯気の向こうから顔を上げた。短い黒髪。腰の道具帯。昨日と同じように忙しそうで、昨日より少しだけ眠そうだった。

ミトラ「隊長さん、本当に戻ってきたんだ」

「戻ると言った」

ミトラ「そうだけどさ。昨日あのあと、旧線路下の方に行ったって聞いたから、もう行政の奥とか、展示の裏とか、よく分かんないところに吸い込まれたのかと思ってた」

「吸い込まれかけたが、戻った」

ミトラ「冗談で言ったのに」

案内端末『概ね事実です』

ミトラ「端末が肯定するやつなんだ……」

 ミトラは私の後ろを見た。ルミナは歌わず、控えめな投影で立っている。中央通りの巨大な歌姫ではなく、朝の食堂の邪魔にならない明るさに抑えた姿だった。

ミトラ「ルミナも一緒か。今日は歌わないの?」

ルミナ『はい。歌唱同期は安全確認が済むまで停止中です。今日は、歌わずに同行しています』

 ミトラの表情が少しだけ真面目になった。

ミトラ「そっか。じゃあ、無理しないで。ここ、朝はうるさいけど、変なことがあったら奥に下がっていいから」

ルミナ『ありがとうございます』

 ミトラはそれ以上、深く聞かなかった。それがありがたかった。この街の人間は、危険と日常の距離の取り方を知っているのかもしれない。

「腹が減った」

ミトラ「うん。顔に出てる」

「そんなにか」

ミトラ「かなり。隊長さん、昨日も一食しか食べてないでしょ」

案内端末『その通りです』

ミトラ「じゃあ、朝用の支援食じゃ足りないね。少し重めにする」

「金はない」

ミトラ「それも昨日聞いた」

「借りが増える」

ミトラ「食べて倒れられる方が迷惑。座って」

 反論する前に、席を示された。私は従った。前世では、戦場で命令を聞き分けることは得意だった。問題は、この世界では食堂の夜番にも命令されることだ。

 出てきたのは、昨日のラーメンとは少し違う料理だった。湯気の立つ椀。白い粒の飯。柔らかく煮た何か。薄い汁。小さな皿に、焼いたものが二切れ。見た目は簡素だが、匂いは強い。腹が、こちらの意思より先に反応した。

「これは」

ミトラ「朝の作業飯。合成米に天然出汁、たんぱく質多め。低刺激だけど、動く人向け」

「うまそうだ」

ミトラ「うまいよ」

 箸を出され、少し緊張した。昨日よりはましだ。少なくとも、私は棒を二本持つ道具だと理解している。理解していることと、使えることは別だが。

 数度失敗し、飯を少しこぼしたところで、ミトラが笑いをこらえる顔をした。

ミトラ「隊長さん、ほんとに箸が初心者なんだね」

「戦場で使ったことがない」

ミトラ「戦場で箸は使わないと思う」

「それはそうだ」

 ようやく一口食べた。うまかった。昨日のラーメンとは違う。派手さはない。だが、体の奥に染みる味だった。噛むたびに、昨日から空っぽだった部分へ熱が戻っていく。私はしばらく黙って食べた。言葉を挟む余裕がなかった。

 ミトラはその様子を見て、満足そうにうなずいた。

ミトラ「で、今日は何の相談?」

「分かるのか」

ミトラ「戻ってきた理由が、飯だけって顔じゃないから」

「飯も大きい」

ミトラ「それは見れば分かる」

 私は椀を置いた。

「服と靴が要る。あと、この時代で生きるための最低限の装備も。公共支援の貸与はあるらしいが、最低限だと聞いた」

ミトラ「まあ、最低限だね。悪くはないよ。清潔だし、サイズも自動で合わせるし、認証も通る。でも、ずっと着るものじゃない」

「やはりそうか」

ミトラ「避難者向けの仮服って、どこまでいっても仮服だから。着られる。歩ける。寒くない。記録できる。それで終わり」

案内端末『基準は満たしています』

ミトラ「基準はね」

 ミトラは案内端末に向けて、にっこり笑った。案内端末は黙った。私は、また勝ったと思った。

ミトラ「隊長さん、旧式でもいい?」

「むしろ、その方がいい場合もある」

ミトラ「へえ」

ナギサ『常時接続しない装備には、現在のクオの状況では一定の利点があります。ただし、医療連携や位置照合は弱くなります』

ミトラ「なるほど。昨日の変な反応の関係?」

 私はうなずいた。

「詳しくはまだ言えない。私自身も分かっていない。ただ、便利すぎる装備は、便利すぎる通路にもなるのだろう」

ミトラ「変な言い方だけど、なんとなく分かる。旧部品市の人間、そういうの好きだよ。つながらない安心、みたいなやつ」

 ミトラは厨房の奥を振り返った。

ミトラ「古い作業服ならある。炊事場の裏じゃなくて、隣の再整備倉庫。昔の外縁作業員が着てたやつ。最新じゃないけど、布が強い。熱にも油にも強い。膝と肘に補強がある。靴もある。重いけど滑らない」

「それは、公共支援より良いのか」

ミトラ「用途による。見た目は地味。認証補助は弱い。自動温度調整も最低限。でも、壊れても縫えるし、汚れても洗えるし、変な更新も入らない」

「かなり良い」

案内端末『現代基準では低機能です』

「今の説明でますます欲しくなった」

ルミナ『クオさん向きかもしれません』

ミトラ「ただ、ただでは出せない。食堂のものじゃないし、再整備倉庫の管理品だから」

「労務で返せるか」

 ミトラは少し目を丸くした。

ミトラ「その相談をしに来たんだ」

「ああ。金はない。だが、働ける」

案内端末『労務適性は未評価です』

「皿洗いならできる」

ミトラ「箸よりはうまい?」

「たぶん」

ルミナ『たぶん、です』

ナギサ『前世の生活技能に炊事場労務が含まれるかは未確認です』

「味方が少ない」

 ミトラが笑った。

ミトラ「いいよ。まず朝の片付けを少し手伝って。いきなり厨房は危ないから、器の回収と洗浄前の仕分け。できそうなら、昼前に再整備倉庫へ連れていく」

「助かる」

ミトラ「その代わり、倒れないこと。あと、変なものが見えたり聞こえたりしたら、勝手に突っ込まないこと」

「それは……努力する」

ミトラ「努力じゃなくて約束」

 私は口を閉じた。昨日なら、たぶん即答できなかった。だが、今日は違う。今日は限界まで踏み込む日ではない。生きる環境を整える日だ。

「約束する。今日は、記録庫へ踏み込むためではなく、この街で歩くために働く」

 ミトラは少しだけ驚いた顔をして、それからうなずいた。

ミトラ「よし。じゃあ食べて。食べ終わったら隊長さん、皿洗い隊長に任命ね」

「階級が下がっていないか」

ミトラ「生活力は上がるよ」

案内端末『適切です』

ナギサ『支持します』

ルミナ『私も、応援します』

 私は椀の中の飯を見た。戦うための装備。生きるための装備。その二つを、私はどこかで同じものだと思っていた。だが、違うのかもしれない。剣は敵を斬る。鎧は刃を止める。だが、服は街を歩かせる。靴は明日も立たせる。飯は、考える力を戻す。そして、労務は、この世界に自分の場所を少しだけ作る。

 私はもう一口、飯を食べた。うまかった。腹が満ちると、少しだけ未来のことを考えられるようになる。

 朝の片付けは、戦場より複雑だった。皿は同じ形に見えて、素材ごとに置く場所が違う。椀は軽いものほど割れにくく、重いものほど熱を持つ。箸は使う時よりも洗う時の方が簡単だったが、洗浄前の仕分けには妙な規則があった。私は三度間違えた。

案内端末『それは返却口ではありません』

「分かっている。今分かった」

ミトラ「隊長さん、戦場だと有能そうなのに、食堂だと新人すぎる」

「戦場に返却口はなかった」

ミトラ「それはそう」

 ルミナは歌わずに、混雑する通路の端で人の流れを整えていた。

ルミナ『こちらの返却台が空いています。熱い器は奥へお願いします。小さなお子さんは足元にお気をつけください』

 歌ではない。それでも、人々の動きは少しだけ滑らかになった。彼女の声は、朝の炊事場に溶けていた。私はそれを見て、少し安心した。ルミナは歌わなくても、ここにいられる。それは小さいが、大事な事実だった。

 片付けが一段落した頃、ミトラは道具帯を締め直した。

ミトラ「じゃ、再整備倉庫に行こうか。裏からも行けるけど、表を少し回ろう。隊長さん、その格好で街を歩くのも今日で最後かもしれないし」

「見世物にする気か」

ミトラ「違う違う。今のうちに、この街がどう見てるか知っといた方がいいってだけ」

案内端末『不要な注目を避けるべきです』

ミトラ「だから今のうちに、ちゃんと人がいる時間に短く歩くんでしょ。ずっと隠すより健全」

ナギサ『一理あります』

「味方がまた減った」

ルミナ『私も、一緒にいます』

「ならいい」

 私たちは旧部品市から中央通り側へ少し回り込んだ。そこは、昨日よりもはっきり秋葉原だった。古い電気街の名残。立体看板。投影広告。部品店。修理店。そして、よく分からない衣装を着た人々。

 いや、衣装と言うべきか、制服と言うべきか。白と黒を基調にした、ふわりと広がる服。頭には小さな飾り。手には光る案内板。通路の角で、二人の若い女性が通行人に笑顔で声をかけていた。

「お帰りなさいませー。朝カフェ投影、まだお席ありますよー」

 私は足を止めた。

「貴族の館か?」

ミトラ「違う」

案内端末『違います』

ルミナ『違います』

 三方向から否定された。その声に気づいたのか、白黒の衣装の一人がこちらを見た。丸い瞳。明るい茶色の髪。肩のあたりで揺れる小さなリボン。彼女は私の服を見て、ぱっと表情を輝かせた。

メイドの少女「すごい。ファンタジーのコスプレですか?」

「こすぷれ」

メイドの少女「え、違う? すごく本格的。布の質感、ちゃんと異世界転生系っぽいです。剣は? 剣は持ってないんですか?」

「剣はない」

 私は思わず真面目に答えた。少女は一瞬だけ驚き、それから納得したようにうなずいた。

メイドの少女「あ、剣なし縛りのキャラなんですね。いいですね、玄人っぽい」

「縛られているわけではない」

ミトラ「あー、コハル、ちょっと待って。この人、本当に昨日来たばっかりだから」

コハル「昨日来たばっかり? 地方から?」

ミトラ「もっと遠い」

コハル「海外?」

ミトラ「もっと遠いかも」

 コハルと呼ばれた少女は、私とミトラとルミナを順に見た。そして、なぜか深くうなずいた。

コハル「分かりました。深掘りしない方がいいやつですね」

案内端末『適切です』

コハル「端末さんに褒められた」

 コハルは胸に手を当て、少し芝居がかった動作で頭を下げた。

コハル「私はコハルです。中央通り朝番メイドです。お兄さんは?」

「クオだ」

コハル「クオさん。じゃあ、また今度ちゃんとお帰りください。初回なら、旧世紀メイド文化解説つき朝カフェできます」

「帰る場所なのか?」

コハル「そういうお約束です」

 約束。その言葉を聞いて、私は真面目に考えかけた。ミトラが小さく肘で私を止めた。

ミトラ「隊長さん、今のは儀礼。深く考えなくていい」

ナギサ『補足します。メイド喫茶文化は西暦二〇〇〇年前後の秋葉原サブカルチャーに強く結びついた接客形式です。二三〇〇年代現在でも、形を変えながら観光、娯楽、地域文化として定着しています』

案内端末『日本において“メイド”は一時的な流行に留まらず、複数世代にわたって再解釈され、秋葉原文化の一部として深く残存しています』

「二〇〇〇年前後から三百年も続いているのか」

ルミナ『はい。秋葉原では、古いものが新しい形で残ることが多いです』

コハル「そうです。メイドは滅びません」

「強いな」

コハル「強いです」

 私は妙な敬意を覚えた。戦争があり、大陸が失われ、機械生命体が海の向こうにいても、メイドは残っている。この世界は、思ったよりもしぶとい。

コハル「クオさん、その服、ほんとに似合ってますよ。今度、剣も合わせたら完璧です」

「剣が売っているのか」

 私は思わず身を乗り出した。ミトラが「あ」と言った。ルミナも「あ」と言った。案内端末は黙った。

 コハルはにこにこしながら、通路の向こうを指差した。

コハル「ありますよ。あっちのファンタジーアニメ・レプリカショップ。聖剣、魔剣、騎士剣、竜殺し系、大体あります」

 私は歩き出しかけた。ほとんど反射だった。

「行く」

ミトラ「待って待って待って」

「剣だぞ」

ミトラ「剣だけど剣じゃない」

「どういうことだ」

案内端末『観賞用模造品です』

 私は止まった。

「模造品」

ナギサ『ファンタジーアニメ、ゲーム、物語作品などを楽しむ人々のためのグッズです。装飾品、撮影用、投影連動用が主であり、実戦用武器ではありません』

「斬れないのか」

案内端末『斬れません』

「突けないのか」

案内端末『推奨されません』

「魔力は通るのか」

案内端末『想定されていません』

 肩が落ちた。自分でも分かるほど落ちた。

 コハルが少し慌てた。

コハル「あの、でもすごく格好いいですよ。光りますし、音も出ますし、鞘から抜くと必殺技名が」

「必殺技名は要らない」

ミトラ「隊長さん、顔。そんなに落ち込まないで」

「剣があると思った」

ルミナ『本物の剣ではありませんでしたね』

「本物ではなかった」

 私は店の方を見た。硝子の向こうに、確かに剣が並んでいる。長剣。細剣。黒い剣。青く光る剣。竜の意匠がある剣。どれも美しい。だが、美しすぎる。戦場の道具ではない。人の手の脂、血、泥、鞘との擦れ、刃こぼれ、そういうものを拒む美しさだった。

「この街には、剣も残っているのに、戦う剣ではないのか」

ナギサ『物語の剣です』

「物語の剣」

ルミナ『でも、それも秋葉原に残った文化です。戦うためではなく、楽しむための剣です』

 私は少し考えた。剣が、楽しむために残る。それは、前世の私には奇妙すぎる話だった。だが、悪いことではないのかもしれない。戦う必要がない場所で、剣が物語になる。それは、たぶん平和な場所にしかできない贅沢だ。

 この世界は戦時下だ。それでも、この街には物語の剣がある。つまり、この街はまだ、ただの戦場ではない。

「……いつか見るだけ見たい」

ミトラ「うん。見るだけね。買うお金はないからね」

「分かっている」

案内端末『所持しても実戦力は上がりません』

「分かっている」

コハル「落ち込み方が本物すぎる」

ミトラ「本物だからね、たぶん」

コハル「え?」

ミトラ「深掘りしない方がいいやつ」

コハル「了解です」

 コハルはもう一度、明るく頭を下げた。

コハル「じゃあクオさん、今度ちゃんと遊びに来てください。剣なしファンタジー旅人さんとして、うちの店でも人気出そうです」

「私は旅人ではない」

ナギサ『現状、かなり旅人に近いです』

案内端末『装備なし、資金なし、現地知識なし。旅人以下です』

「黙れ」

 ミトラとコハルが同時に笑った。私は少しだけ恥ずかしくなった。だが、悪くはなかった。笑われたのに、不思議と嫌ではない。ここでは、私は怪物でも敵でもなく、変な格好の人間として見られている。それは、案外ありがたいことなのかもしれない。

 コハルと別れ、私たちは再整備倉庫へ向かった。通路の奥に行くほど、看板の光は減り、代わりに金属と油の匂いが濃くなる。新しい店の裏側に、古い部材を直して使う場所がある。

 ミトラは倉庫の前で足を止めた。

ミトラ「ここ。外縁作業員用の古い装備、まだ少し残ってる。サイズが合えば当たり」

「合わなければ」

ミトラ「袖を詰める。裾を詰める。靴は……祈る」

「祈りは危険経路ではないのか」

案内端末『文脈が違います』

ルミナ『その祈りは、たぶん大丈夫です』

 私は扉の前で息を吸った。

 朝食を食べた。皿を洗った。メイドという三百年続く文化に出会った。偽物の剣に喜び、偽物だと知って落ち込んだ。そして今、古い作業服と靴を探そうとしている。

 第三退避記録庫の奥。黒い歯車。研究倫理記録。それらは、まだ待っている。だが、その前に、私は靴を選ぶ。

 妙な順番だ。けれど、たぶん間違ってはいない。剣を持たない魔法剣士が、二三〇〇年の秋葉原で最初に得る装備。それが古い靴だというのは、少し情けなくて、少しだけ誇らしかった。

この話の選択肢

  1. 再整備倉庫で、古い作業服と靴を実際に試着する
  2. コハルに教わったメイド文化と秋葉原サブカルの残り方を、ナギサに詳しく説明してもらう正史
  3. 模造剣の店を少しだけ覗き、本物の剣との違いを確かめる
  4. 古い作業装備が第三退避記録庫の再訪に使えるか、案内端末に安全評価させる