NoveLoreノベロア・物語の冒険者ギルド
転生したら秋葉原だったall

転生したら秋葉原だった好きの保存層

前の話で選んだ選択肢コハルに教わったメイド文化と秋葉原サブカルの残り方を、ナギサに詳しく説明してもらう

 再整備倉庫の扉に手をかける前に、私は一度だけ振り返った。

 通路の向こう、中央通りの角では、まだコハルが明るい声で人を呼んでいる。白と黒の服。小さな飾り。笑顔。硝子の奥には、戦うことのできない剣が並んでいる。

 戦争の時代にしては、あまりにも無防備な光景だった。

「ナギサ」

ナギサ『はい』

「さっきの話を、もう少し聞きたい」

ミトラ「倉庫の前で?」

「今でないと、流してしまいそうだ」

 ミトラは扉の認証板に手を置いたまま、少しだけ肩をすくめた。

ミトラ「じゃあ、短めね。倉庫の中、古いけど空調が弱いから、開けっぱなしにすると怒られる」

案内端末『補足。怒るのは管理者ではなく、温湿度管理システムです』

ミトラ「同じようなものだよ」

「違うのか」

案内端末『違います』

ナギサ『説明対象を確認します。メイド文化、および秋葉原サブカルチャーが二三〇〇年代にも残存している理由、という理解でよいですか』

「ああ。三百年も続くものなのか。国が滅び、大陸が落ちても、あれは残るのか」

 自分で言って、少し変な問いだと思った。

 だが、私にはどうしても不思議だった。前世で三百年残るものといえば、王家の血筋、神殿の儀礼、戦の歌、英雄の名、呪われた土地の伝承。そういう重いものばかりだった。

 目の前にあるのは、明るい声と、奇妙な衣装と、斬れない剣だ。

ナギサ『残ります。少なくとも、この街では』

「なぜだ」

ナギサ『秋葉原は、古い時代から何度も役割を変えた街です。電気街、部品の街、コンピュータの街、ゲームや映像作品の街、同人文化の街、メイド喫茶の街、観光地、避難都市、保存都市。名称や制度は変わりましたが、“好きなものを持ち寄る場所”という性質が、長く残りました』

 好きなものを持ち寄る場所。

 戦場の作戦地図には載らない言葉だった。

ルミナ『旧秋葉原駅の周辺にも、保存層が多いです。高架の一部、電気街口の地名、中央通りの線、古い看板の外枠。今の建物の中に、昔の街の骨が入っています』

案内端末『補足。現在見えている高架の一部は復元構造です。原型を完全に保持しているわけではありません』

「骨を似せて作り直したのか」

ナギサ『はい。完全な過去ではありません。ですが、完全でないから無意味、という扱いにはなりません』

 私は倉庫の扉から手を離した。

 旧高架を模した通路。その下の部品店。光る看板。古い地名。偽物の剣。三百年続くメイド。

 この街は、過去をそのまま保存しているのではない。傷つき、作り替え、間違えながら、それでも名前を呼び続けている。

「つまり、あのメイドというのも、神殿の巫女のようなものか」

ミトラ「たぶん違う」

案内端末『違います』

ルミナ『かなり違います』

「また三方向から否定された」

ナギサ『ただし、儀礼という意味では近い部分があります。決まった挨拶、決まった役割、決まった空間。客は一時的に“帰ってきた人”として迎えられ、店員は“迎える人”になります』

「帰ってきた人」

ナギサ『はい。“お帰りなさいませ”は、本当の帰宅ではありません。ですが、帰る場所が失われやすい時代には、仮の帰宅にも価値があります』

 その言葉で、私は黙った。

 帰る場所。

 私の帰るべき城は、もう遠い。仲間たちが生き延びたかも分からない。女神の白い空間を経て、剣も鎧も金もなく、私は二三〇〇年の秋葉原に立っている。

 私にとって、この街はまだ帰る場所ではない。

 だが昨日、私はアキバ炊事場に戻った。戻ると言ったから戻った。飯を出され、皿を洗い、隊長ではなく皿洗い隊長になった。

 あれも、仮の帰宅だったのかもしれない。

「では、客を主人と呼ぶのはなぜだ。主人を増やすのは危険ではないか」

ミトラ「そこを真面目に受け取るんだ」

案内端末『役割上の呼称です。実際の主従関係ではありません』

「主従ではないのに主人と呼ぶのか」

ナギサ『そういう遊びです』

「遊びで主君を作るのか」

ミトラ「隊長さんの世界、そこ重そうだもんね」

「軽く扱うと首が飛ぶ」

案内端末『現代秋葉原において、その理由で首が飛ぶことは通常ありません』

「通常、というところが不穏だ」

ルミナ『クオさん、たぶん大丈夫です』

 ミトラが小さく笑った。笑われているのに、やはり嫌ではなかった。

ナギサ『サブカルチャーの多くは、現実そのものではなく、現実と距離を取るための形式です。別の服を着る。別の名を名乗る。物語の武器を持つ。歌う。演じる。見る。語る。そうすることで、人は現実に押し潰されずに済む場合があります』

「現実から逃げるのか」

ナギサ『逃げるだけではありません。戻るための距離を作る、と言った方が近いです』

 戻るための距離。

 私は硝子の向こうの剣を思い出した。光り、音が鳴り、必殺技名を叫ぶらしい剣。実戦では役に立たない。だが、誰かはそれを握って、英雄の真似をする。

 前世の子供たちも、枝を剣に見立てて遊んでいた。私はそれを見て、いつか本物の剣を持つ日を思い、少し誇らしくなったものだ。

 この世界では、本物の剣を持たないために、物語の剣を持つのかもしれない。

「機械生命体には、そういうものはあるのか」

 聞いた瞬間、空気が少しだけ冷えた。

案内端末『観測範囲では確認されていません』

ナギサ『機械生命体は、効率的な占領、複製、侵食、制圧を行います。人間の娯楽や儀礼を模倣する事例はありますが、それが好意や楽しみから生じたものかは確認できていません』

「なら、人間はかなり変な生き物だな」

ミトラ「急に大きい話になったね」

「だが、そうだろう。敵は大陸を奪う。人間は負けながら、朝飯を作り、皿を洗い、斬れない剣を飾り、帰ってもいない者にお帰りと言う」

ルミナ『……はい』

「無駄が多い」

案内端末『効率評価では、そう判定される可能性があります』

「だが、悪くない」

 私はそう言って、自分でも少し驚いた。

 前世の私は、無駄を嫌った。戦場では、無駄な動きが命を落とす。無駄な荷物が足を止める。無駄な感傷が判断を遅らせる。

 けれど、この街の無駄は違う。

 それは、人が人であることを失わないための余白だった。

ナギサ『秋葉原のサブカルチャーは、戦時下で弱くなった面もあります。消えた店、途切れた系譜、失われた作品、再現できない媒体も多いです。それでも残ったものは、単なる娯楽ではなく、都市の記憶を支える部品になりました』

「部品店の街らしいな」

ミトラ「うん。人も文化も、壊れたら直す。直せないところは、別の部品を当てる。たまに変なものができる」

案内端末『その表現は雑ですが、概ね近いです』

「つまりコハルも、街の部品なのか」

 ミトラは少し考えた。

ミトラ「部品って言うと怒られそうだけど、まあ、街を動かしてる一人ではあるよ。朝にあの声があると、ああ中央通りが今日も開いたなって思う人、けっこういるから」

ルミナ『声で街が始まるんですね』

 ルミナの声は、少しだけ静かだった。

 私は彼女を見た。歌わない歌姫。昨日、巨大な投影柱で人々を集め、旧線路下の異常と響き合いかけた存在。今は、炊事場の返却台を案内し、倉庫の前で小さく立っている。

「ルミナも、同じなのか」

ルミナ『私ですか』

「歌姫というのも、この街に残った文化なのだろう」

ナギサ『はい。旧世紀のアイドル文化、音声合成文化、投影ライブ、公共案内人格、慰撫システムなどが複合した存在です。ルミナはその系譜にあります』

案内端末『ただし、歌唱同期には未解明の危険があります』

ルミナ『はい。それは忘れていません』

 ルミナはうつむかなかった。ただ、少しだけ胸の前で手を重ねた。

ルミナ『でも、歌わない時でも、私の声で誰かが少し安心するなら、それも残った文化の一部なのかもしれません』

「そうだな」

 私はすぐに答えた。

「少なくとも、さっき炊事場で人の流れは良くなった。戦場なら、声の通る者は貴重だ」

ルミナ『戦場基準ですか』

「褒めている」

ルミナ『なら、ありがとうございます』

 ナギサが一拍置いてから言った。

ナギサ『クオ。秋葉原が守ってきたものは、兵器や防壁だけではありません。役に立たないように見えるもの、笑えるもの、懐かしいもの、誰かの好きだったもの。それらも、人間の生存圏を形作っています』

「生きるだけなら不要だが、人間として生きるなら必要、ということか」

ナギサ『はい』

 私は中央通りを見た。

 旧秋葉原駅の名残。高架を模した通路。電気街の看板。部品店。メイド。歌姫。物語の剣。

 剣で守るべきものは、城壁や王だけではないのだと、少しだけ分かった気がした。

「この街は、かなり弱そうに見える」

ミトラ「まあ、そこは否定しない」

「だが、しぶとい」

ミトラ「それは、すごくそう」

案内端末『秋葉原第七層の継続稼働年数、文化保存密度、民間復旧率はいずれも高水準です』

「端末が言うと急に味気ないな」

案内端末『客観性です』

「コハルが言った方が強そうだった。メイドは滅びません、と」

ルミナ『強かったですね』

ナギサ『強い宣言です』

 私は扉に向き直った。

 倉庫の中には、古い作業服と靴がある。戦うための剣ではない。だが、この街を歩くための装備だ。

 そして、この街を歩くなら、私はこの街が何を残してきたのかも知らなければならない。

「分かった。まず靴を選ぶ。そのあと、いつかメイドの店にも行く」

ミトラ「お、行くんだ」

「帰る場所というものを、実地で確認する必要がある」

案内端末『文化体験としては妥当です』

ミトラ「絶対、真面目に受け取りすぎるやつだ」

ルミナ『でも、クオさんらしいです』

 私は扉に手をかけた。

 重い金属の向こうから、古い布と油と乾いた埃の匂いがした。剣も鎧もない魔法剣士が、二三〇〇年の秋葉原で学ぶことは多い。

 戦い方だけではない。

 残り方もだ。

この話の選択肢

  1. 再整備倉庫に入り、古い作業服と靴を実際に試す
  2. コハルの朝カフェへ戻り、「お帰りなさいませ」を実地で学ぶ正史
  3. ファンタジー・レプリカショップで、物語の剣が人々に何を与えるのか確かめる
  4. ルミナに、歌姫文化と歌唱同期の危険な接点を聞く