転生したら秋葉原だった沈黙の合言葉
前の話で選んだ選択肢クオの前世にしかない記憶を使い、返声の相互記憶判定を試す
『ク……オ……』
旧線路下保存層から返ってきた声は、まだ声になりきっていなかった。
古い鉄骨の奥で、誰かが錆びた弦を指で弾いているような音だった。展示区の床下、旧秋葉原駅へ沈んでいく保存層。そこには、もう列車の走らない線路と、高架の骨と、かつて電気街を支えた無数の配線が眠っている。
その底から、私の名だけが上がってくる。
「……ナギサ」
ナギサ『はい』
「相互記憶判定を行う」
ルミナ『クオさん』
ルミナの手が、さらに強く私の手を握った。触覚支持場の手だと分かっている。分かっているのに、振りほどくにはあまりに人の手に似ていた。
案内端末『推奨しません。あなたの前世にしかない情報を応答へ渡すことになります』
「分かっている。だから、答えを渡さない」
案内端末『意味が不明です』
「鍵そのものを渡せば、盗まれる。だが鍵穴の形だけなら、相手が本当に鍵を持っているか分かる」
ナギサ『比喩としては理解できます。ただし、鍵穴の形もまた情報です』
「では、鍵穴に見える罠を使う」
私は、床を見る。
透明な床面の下に、旧線路の影が投影されていた。黒い枕木。曲がったレール。赤く錆びた案内板。そこに、薄い文字で《旧秋葉原駅下層保存域》と出ている。
私の世界にも、地下に似た場所はあった。城壁の下に掘られた退避坑。包囲された砦の抜け道。魔王軍に追われる民を、夜明け前に逃がすための細い道。
最後の戦いの直前、私はそこで、部下たちに合言葉を与えた。
そして、二度と返すなと命じた。
「ナギサ。今から私は、前世の記憶に関わる言葉を一つだけ出す」
ナギサ『記録します。相互記憶判定、第三層。入力は最小限に制限』
「その言葉の続きは、私しか知らない」
案内端末『その宣言も情報です』
「だから続きは言わない。返声が本物なら、続きではなく、返してはいけない理由を知っている。偽物なら、続きを作る」
ルミナ『作る……』
「嘘つきは沈黙に弱い。さっき、そう教わった」
ナギサ『あなたが言いました』
「そうだったな」
少しだけ口元が緩んだ。だが床下からの振動は、笑う間をくれなかった。
『ク……オ……』
名を呼ぶ。
呼ばれれば、振り向きたくなる。
だが戦場で振り向く者は、矢を受ける。救えたはずの者まで巻き込む。
私は、息を細く吐いた。
「聞け。前世の私を知る者なら、この言葉を覚えているはずだ」
ナギサ『入力開始』
「夜明けの鐘は――」
そこで、私は黙った。
続きは言わない。
喉の奥に、昔の血の味が戻ってきた。焼けた城門。黒い炎。背後へ逃げていく足音。泣くなと怒鳴った自分の声。返すなと命じた合言葉。
あの合言葉を返した者は、私の命令を破った者だ。
あの合言葉を返した者は、生き延びるべき道を捨て、私の死に引き寄せられた者だ。
だから、本当に私の部下なら。
あるいは、本当にあの夜を知るものなら。
返してはいけない。
展示室が、静まり返った。
さっきまで床下を震わせていた低音が消える。空調音も、案内表示の微かな駆動音も、遠くなる。旧秋葉原の高架遺構を模した天井に、かつての電気街の看板が淡く浮かび、その光だけが私の影を足元に落としていた。
案内端末『応答途絶』
ナギサ『待機。まだ判定を閉じません』
ルミナ『……クオさん、今のは』
「答えを知っているかどうかの問いではない。答えてしまうかどうかの問いだ」
ルミナ『つらい問いです』
「戦場の問いは、たいていつらい」
私は軽く言ったつもりだった。
だが、声は思ったより乾いていた。
そのとき、床下の表示が揺れた。
『夜明け……』
ルミナの手が跳ねる。
案内端末『応答再開。音声化未満。文字列候補、形成中』
「続けるな」
私は、低く言った。
誰に言ったのか、自分でも一瞬分からなかった。床下の何かにか。過去の亡霊にか。それとも、続きを聞きたいと思ってしまった自分にか。
『夜明け……の……』
表示が乱れる。
そこから先が、出ない。
代わりに、白い文字が一つずつ沈むように浮かんだ。
『返さない』
私は、息を止めた。
ナギサ『判定ログ保持。応答は、入力された語句の続きを生成していません』
案内端末『ただし、直前の会話から「返さない」が最適応答であると推論した可能性があります』
「分かっている。これだけでは足りない」
ルミナ『まだやるんですか』
「少しだけだ」
私は、自分の指先が冷えていることに気づいた。
この体は、転生してからまだ日が浅い。剣も鎧もなく、金もなく、名も仮のものだ。それでも、記憶だけは前の世界の重さを持っている。雑に扱えば、私の中の死者たちまで汚す。
だから、次は混ぜる。
嘘を混ぜる。
「では、もう一つ聞く」
ナギサ『警告。質問内容を慎重に選んでください』
「分かっている」
私は床へ向けて、静かに言った。
「その合言葉を、私がミトラに教えたのはいつだ」
ルミナが息を呑む。
案内端末の光が一瞬だけ明るくなった。
案内端末『ミトラは第七層共同食堂の夜番です。前世記憶との接続はありません』
「だから聞いた」
ナギサ『偽記憶混入判定』
「敵が記録をつなぎ合わせているなら、ミトラの名に食いつく。私の前世を知るものなら、黙るか、否定する」
床下の沈黙は長かった。
長すぎるほどだった。
旧線路の投影の向こうで、何かが迷っているように見えた。もちろん、ただの表示だ。だが人間は、光の遅れにも意志を見てしまう。だからこそ、名前は危ない。だからこそ、声は危ない。
『ミ……』
白い文字が出かけて、崩れた。
次に出た文字は、違っていた。
『その名は、新しい』
背筋に冷たいものが走った。
案内端末『秋葉原第七層内記録からの推論で到達可能です』
ナギサ『はい。ただし、前世記憶と現世記録を混同していません』
ルミナ『混ぜなかった……』
「まだ味方とは言えない」
私は言った。
言わなければ、自分が先に信じそうだった。
「敵が賢いだけかもしれない。沈黙の価値を学んだのかもしれない」
ナギサ『その通りです』
ナギサは、いつも通り容赦がなかった。
ありがたい。
優しい言葉より、冷たい事実の方が足場になる時がある。
『クオ』
今度の表示は、はっきりしていた。
音ではない。文字だった。だが、呼び方が少し変わった気がした。最初のように、ただ名をなぞる音ではない。こちらが振り向くのを待つ間がある。
私は、奥歯を噛む。
「私はここにいる」
ルミナ『クオさん』
「大丈夫だ。返事ではない。位置の申告だ」
案内端末『区別が難しい発話です』
「戦場では、難しいことばかりだ」
床下の表示が、さらに揺れた。
『下は』
文字が止まる。
『歌を』
ルミナの手が、強張った。
『連れてくるな』
展示室の光が、一段落ちた。
高架遺構の影が長く伸びる。旧電気街の看板が、遠い海底の灯のように滲んだ。床下の旧線路は黒い川になり、その底から、私たちのいる第七展示区を見上げているようだった。
ルミナ『……私のこと、でしょうか』
案内端末『公共慰撫投影人格、歌唱機能を指す可能性があります』
ナギサ『同時に、あなたを分断する誘導である可能性もあります』
「警告か、罠か」
ナギサ『未判定です』
「相互記憶判定は」
ナギサは、少しだけ沈黙した。
その沈黙が、機械の処理待ちではなく、人が言葉を選ぶ間に見えた。
ナギサ『判定三。相互記憶判定、成立とは認めません』
「だろうな」
ナギサ『ただし、不成立とも認めません』
案内端末『分類不能です』
ナギサ『暫定分類。沈黙一致反応』
「沈黙が一致しただけ、か」
ナギサ『はい。あなたの前世記憶に対し、応答は少なくとも二度、作話を避けました。ですが、それが記憶によるものか、高度な推論によるものか、敵性学習によるものかは分かりません』
ルミナ『それでも、完全な偽物とは違うんですね』
ナギサ『違う可能性があります』
案内端末『危険であることに変わりはありません』
「まったく」
私は、笑い損ねた息だけを吐いた。
偽物ではないかもしれない。
味方ではないかもしれない。
敵ではないかもしれない。
この世界は、どうしてこう、剣で斬れるものから順番に遠ざかっていくのか。
私は剣のない腰へ手をやり、それからルミナの手を見た。
「ルミナ」
ルミナ『はい』
「今の言葉を聞いても、私は君の手を離すつもりはない」
ルミナ『……はい』
「だが、歌を連れてくるな、という警告の意味は考える必要がある」
ナギサ『同意します。オルフェウス・プロトコルの返声事故は、歌唱者と慰撫投影系の同期を利用されました』
案内端末『旧線路下保存層への接近、ならびに歌唱人格の同行には追加審査が必要です』
「審査、審査、審査だな」
案内端末『文明は審査で守られます』
「剣では守れないのか」
案内端末『剣の携行権限がありません』
「そこからか」
ルミナが、小さく笑った。
本当に小さな笑いだった。けれど、床下の暗さに呑まれないだけの光があった。
旧線路下保存層からの応答は、もう一度だけ震えた。
『クオ』
それだけだった。
続きはない。
私は、その沈黙を聞いた。
嘘つきの沈黙か。
死者の沈黙か。
それとも、まだ名を持たない何かの沈黙か。
どれであっても、次に間違えれば、こちらの記憶が鍵になる。
私は、ナギサと、案内端末と、ルミナを順に見た。
「判断を続ける。だが、急がない」
ナギサ『賢明です』
案内端末『珍しく同意します』
「珍しくは余計だ」
ルミナ『私は……歌わずに、ここにいます』
その言葉に、私は頷いた。
歌わない歌姫。
剣のない魔法剣士。
疑う行政人格。
融通の利かない案内端末。
そして、沈黙を返した旧線路下の何か。
どうやら、この世界での戦いは、声を上げることより、声を飲み込むことから始まるらしい。
この話の選択肢
- ルミナに、「歌を連れてくるな」という警告の意味を本人の記憶から確認してもらう
- ナギサに、沈黙一致反応の判定ログを都市安全系へ提出させる
- 旧線路下保存層へ降りるため、歌唱人格なしの調査許可を正式申請する
- もう一つだけ前世の記憶を使い、返声が推論か記憶かをさらに試す正史