転生したら秋葉原だった返声判定
前の話で選んだ選択肢ナギサに、オルフェウス・プロトコルの事故記録をさらに開示させる
「ナギサ。事故記録を、さらに開示してくれ」
私は、壁面に浮かぶ黒衣の女へ向けて言った。
ルミナの手が、わずかに強張る。案内端末の丸い光も、いつもより少し低い位置へ沈んだ。人であれば、肩を落としたようにも見えた。
ナギサ『確認します。あなたが要求しているのは、オルフェウス・プロトコルの効果記録ではなく、返声事故の詳細です』
「そうだ」
ナギサ『事故の直接映像、音声、参加者名簿、停止判断ログ、返声判定手順を含みます。閲覧者の精神負荷が規定値を超える可能性があります』
「私は一度死んでいる」
ナギサ『死は、精神負荷の免責理由にはなりません』
「まったく、この世界は死者にも厳しいな」
案内端末『現在のあなたは生存扱いです』
「そこはありがたい」
軽口を言ったつもりだったが、誰も笑わなかった。床下からは、まだ低い振動が返っている。今見ている映像の中ではない。この展示室の下、旧線路下保存層から、現在時刻の応答が来ている。
「先に確認する。さっきの『クオ』という表示は、昔の事故映像の中にあった声ではないのだな」
ナギサ『はい。過去記録の再生音声ではありません。現在時刻で、旧線路下保存層から展示系へ返ってきた応答です』
「今、という言葉はそういう意味か」
ナギサ『はい。現在のこの展示室に対する応答です』
「分かった。なら、なおさら事故記録が要る。昔の失敗と、今起きていることの違いを見分けるためだ」
展示室の映像が切り替わった。古い秋葉原の模型が、さらに暗く沈む。地下の実験区画。白い隔壁。赤い警告灯。透明な観察窓。そこに並ぶのは、研究者と支援技術者と、歌うために集められた人々だった。
『返声事故、判定記録』
『事故区分:敵性侵食波形再現系による応答模倣』
『発生場所:旧秋葉原地下・都市網実験区画』
『都市網本線への波及:なし』
『国内防衛線への影響:なし』
「ここにも書いてあるな」
ナギサ『はい。誤解を避けるため、事故記録には必ず表示されます』
「日本が攻め落とされたわけではない」
ナギサ『はい。日本が生き延びるために、失われた都市の記録を再現した実験です。それでも、人は傷つきました』
ナギサは、その一点を薄めなかった。
映像の中で、研究者の一人が資料を読み上げていた。
『返声判定は三層で行う』
『第一、記録一致判定』
『第二、現在発信源判定』
『第三、相互記憶判定』
「相互記憶?」
案内端末『相手が、本来知り得る記憶を持っているかを確認する手順です』
「合言葉のようなものか」
ナギサ『近いです。ただし、合言葉だけでは不十分です。敵は言葉を盗みます。声も盗みます。記録に残った名前も盗みます』
「では何を見る」
ナギサ『応答の遅れ、意味のずれ、相手が知らないはずの情報への反応、そして、記録に存在しない沈黙です』
「沈黙を見るのか」
ルミナ『人は、知らないことには黙ることがあります。敵は、黙るべき場所を間違えることがある』
私は少しだけ考えた。魔王軍にも、こちらの声を真似る魔物はいた。だが、それらは沈黙が下手だった。全部知っているふりをする。こちらが何も言わないと、相手から答えを差し出してくる。
「分かる気がする。嘘つきは、沈黙に弱い」
ナギサ『記録してよいですか』
「……よい」
*
事故映像が進む。歌唱者たちが円形の部屋に並んでいた。中央には、旧都市の避難誘導模型。大陸で失われた都市のログを、秋葉原の隔離区画に流し込んだものだ。
『水瀬アヤ』
研究者が名前を呼ぶと、女が返事をする。次に、記録の中の声が返った。
『アヤ』
女の肩が震えた。その声は、たぶん彼女の知る誰かの声だった。
『判定一、記録一致。大陸喪失ログ内に近似音声あり』
『判定二、現在発信源なし。再現系内部応答』
『判定三、相互記憶不成立』
『返声分類:偽応答』
「手順としては、偽物だと分かっていたのか」
ナギサ『はい』
「なら、なぜ事故になった」
ナギサ『分かることと、耐えられることは別です』
映像の中で、女は泣いている。偽物だと表示されている。警告も出ている。研究者も制止している。それでも、彼女の目は声の方へ向いていた。
『もう一度、呼んで』
『アヤ』
『もう一度』
『こっちだよ』
青い同期輪が歪む。赤い再現波形が、名前に合わせて震えた。
『返声増幅』
『慰撫投影系、同調』
『歌唱者群、同期対象を喪失者へ変更』
「生活を守るための歌が、喪失者の声へ引っ張られた」
ルミナ『はい』
「これが、オルフェウスか」
ナギサ『名前だけなら、美しい研究でした』
映像の中で、隔離扉が閉じていく。今度は、開かない。誰かが内側で叫んでいる。誰かが外側で泣いている。それでも扉は閉じた。
『隔離維持』
『都市網本線、保全』
『日本防衛圏への波及、なし』
「成功したのだな」
案内端末『はい。封鎖は成功しました』
「事故としては失敗でも、防衛としては成功か」
ナギサ『はい』
嫌な成功だった。正しい。だが、正しいだけでは眠れない。
*
床下から、三度目の振動が来た。映像ではない。現在の展示室が震えている。
案内端末『旧線路下保存層からの応答、継続』
ナギサ『判定一。記録一致判定』
『呼称:クオ』
『過去事故記録内一致:なし』
『大陸喪失ログ内一致:なし』
『秋葉原市民記録内一致:なし』
『仮登録記録内一致:あり』
「私がここで名乗ったからか」
ナギサ『はい。クオという仮登録名は、現時点ではこの街の新規記録です』
「敵がもう拾った可能性は」
ナギサ『あります』
ナギサは、慰めを言わなかった。それがありがたかった。
ナギサ『判定二。現在発信源判定』
『発信源:旧線路下保存層 第三退避記録庫周辺』
『保存層内部センサー:一部応答なし』
『外部侵入痕跡:未確認』
『敵性侵食波形:確定せず』
案内端末『確定せず、です。安全ではありません』
「分かっている」
ルミナ『判定三は』
ナギサ『相互記憶判定は、応答内容が不足しています』
「つまり、まだ名前を呼んだだけか」
ナギサ『はい』
「では、こちらから何かを聞けば判定できる」
案内端末『推奨しません』
「推奨しないのは分かった。聞くなら何だ」
案内端末『……あなたの元の世界にしかない情報です』
「私の世界の記憶か」
ナギサ『はい。ただし危険です。あなたしか知らない情報を応答に渡すことになります。敵が学習する可能性があります』
「質問を間違えれば、鍵を渡すことになる」
ナギサ『はい』
ルミナ『クオさん』
ルミナが、私の手を両手で包むように握った。光の手なのに、温度がある気がした。
ルミナ『名前を呼び返すものが、全部敵だとは言いたくありません。でも、名前を使うものを、すぐ味方だとも思わないでください』
「分かっている」
ルミナ『たぶん、分かっていても行く人の顔をしています』
「そんな顔があるのか」
案内端末『あります』
ナギサ『あります』
「二人で言うな」
少しだけ、息が楽になった。しかし床下の振動は止まらない。
クオ。まだ声にはなりきっていない。だが、私の名を呼ぶ形を探している。
私は右手を腰へやった。剣はない。鎧もない。金もない。
あるのは、仮の名と、光の歌姫の手と、融通の利かない案内端末と、疑うことをやめない行政人格だけだ。
それでも、前よりはずっと多い。
「ナギサ。返声判定を続ける」
ナギサ『方法を選んでください』
「選ばせるのか」
ナギサ『強制すれば、あなたは反発します』
「よく分かっている」
案内端末『記録から明白です』
「そこは黙っていろ」
床下から、もう一度、低い音が返ってきた。今度は少しだけ、人の声に近かった。
『ク……オ……』
ルミナの手が震える。私は、その震えを握り返した。
「まったく」
名前というものは、本当に面倒だ。呼ばれれば、振り向いてしまう。だからこそ、振り向く前に考えなければならない。誰が呼んだのか。何のために呼んだのか。そして、自分は何者として返事をするのか。
この話の選択肢
- 旧線路下保存層へ降りるため、安全班同行の正式許可を求める
- クオの前世にしかない記憶を使い、返声の相互記憶判定を試す正史
- ルミナに、返声へ応答せず同期を保つための歌を頼む
- 案内端末に、旧線路下保存層を開けないまま外部隔離を強化させる