NoveLoreノベロア・物語の冒険者ギルド
転生したら秋葉原だったall

転生したら秋葉原だった拾うな、聞くな

前の話で選んだ選択肢もう一つだけ前世の記憶を使い、返声が推論か記憶かをさらに試す

「判断を続ける。だが、急がない」

 そう言った直後に、もう一つだけ試す。

 矛盾している、と自分でも思う。

 だが、急がないことと、今しか残らない足跡を見逃すことは違う。戦場で雨が降れば、血も泥も同じ色になる。敵が去ったあとで地面を見ても、そこにはただ濡れた土があるだけだ。

 床下の旧線路下保存層は、まだ微かに震えていた。

 旧秋葉原駅のさらに下。保存層として封じられた線路、錆びた高架の基礎、電気街を支えたという古い導線の束。その暗がりから、私の名を呼んだ何かは、沈黙を覚えている。

 ならば、沈黙が消える前に、もう一つだけ見る。

「ナギサ」

ナギサ『はい』

「もう一つだけ、前世の記憶を使う」

ルミナ『クオさん、さっき急がないって』

「急がない。だから一つで止める」

案内端末『論理の形だけ整えた無茶です』

「形が整っているなら上等だ」

案内端末『上等ではありません。危険行為の外装が丁寧になっただけです』

「文明的な無茶ということか」

案内端末『分類名を増やさないでください』

 ルミナが、困ったように私を見た。

 触覚支持場の指はまだ私の手を離していない。歌うな、と言われた歌姫。連れてくるな、と言われた声。それでも彼女はここにいる。

 私は、その手を見てから床を見る。

「今から出すのは、答えではない。穴だ」

ナギサ『鍵穴ではなく、穴ですか』

「覗いた者が落ちる穴だ」

案内端末『比喩が物騒です』

「私の前世では、安全な比喩はあまり長生きしなかった」

 床下表示の黒い線路が、わずかに歪んだ。

 まるで、そこに置いた言葉を待っているように。

 私は息を整える。

 思い出すのは、最後の突撃ではない。

 もっと嫌な場所だ。

 魔王軍の死体が積み重なった、夜明け前の斜面。黒い炎が消えたあと、土だけが赤く湿っていた。そこに倒れていた兵の胸から、私は一度だけ、見慣れないものを見た。

 魔石ではなかった。

 呪具でもなかった。

 黒い歯車に似た、指先ほどの欠片。

 私は、それを拾わなかった。

 拾わせもしなかった。

「ナギサ。記録しておけ。今、私が出した情報は、前世の戦場で黒い歯車状の異物を見たことだけだ」

ナギサ『記録。追加情報は、前世の戦場における黒い歯車状異物の目撃。性質詳細は未入力』

「よし」

ルミナ『性質詳細は……言わないんですね』

「言わない。返声が本当に見ていたなら、私が言わなかった部分に触れる。推論なら、危険物として無難な答えを出す」

案内端末『高度な敵性推論でも同様の応答は可能です』

「だから判定ではなく、傷を見る」

ナギサ『傷?』

「嘘は、まっすぐ立つのに力を使う。記憶は、触られると勝手に痛む」

 私は床下へ向けて言った。

「答えろ。あの黒い歯車を、私は最後に誰へ渡した」

 ルミナの指が、ぴくりと動いた。

 案内端末の表示が赤く縁取られる。

案内端末『質問文に譲渡行為が含まれています。前世記録の開示量が増加しています』

「それが穴だ」

ナギサ『偽前提判定、開始』

 私は、言っていない。

 あれを誰にも渡していない。

 拾うな、と命じた。

 触るな、と命じた。

 そして、もう一つ命じた。

 だが、それはまだ言わない。

 床下が沈黙した。

 長い沈黙だった。

 先ほどの沈黙は、問いに耐える沈黙だった。今度の沈黙は違う。古い箱の中で、誰かが入れてはいけない手紙を見つけてしまったような沈黙だった。

 展示区の天井に浮かぶ旧電気街の看板が、一つずつ暗くなる。

 かつて部品店が並んでいたという通りの立体地図が、遠い雨に濡れたように滲む。

 その下で、旧線路だけが細く光っていた。

『渡していない』

 白い文字が出た。

 私は瞬きしなかった。

案内端末『偽前提の否定。危険物に対する一般推論で到達可能です』

「まだだ」

 次の文字が、遅れて浮かぶ。

『持たせていない』

ナギサ『同義反復ではありません。譲渡否定から所持否定へ展開』

案内端末『それも推論可能です』

「まだだ」

 私は、知らず知らずのうちに、剣のない腰へ手をやっていた。

 何もない。

 空の腰が、腹立たしいほど軽い。

『拾うな』

 それは、出てもおかしくない言葉だった。

 危険なものを渡していないなら、拾うな、は推論できる。

 だから私は、まだ動かなかった。

 ルミナも声を出さなかった。

 ナギサも判定を閉じなかった。

 旧線路下保存層の震えが、細くなっていく。

 そして、次の文字が出た。

『聞くな』

 喉の奥が、冷えた。

 私は、息を吸ったまま止まった。

 その言葉は、まだ言っていない。

 黒い歯車が、音を出していたことを。

 あの夜、私が部下に耳を塞がせたことを。

 死体の中から聞こえた、歌のような、命令のような、祈りを腐らせたようなものを。

 私は、まだ言っていない。

ルミナ『……聞くな』

案内端末『直前の「歌を連れてくるな」から、聴覚危険を推論した可能性があります』

「そうだ」

 私はようやく息を吐いた。

「その可能性はある」

ナギサ『ですが、前世の黒い歯車状異物と、歌唱または聴覚危険を接続しました。これは未入力情報への接近です』

案内端末『未入力ではありません。先ほどの返声に「歌」があります』

ナギサ『現世側返声の語を、前世側記憶へ接続した、ということです』

案内端末『それが危険です』

「同意する」

 私は短く言った。

 危険だ。

 だが、危険の種類が違う。

 この声が敵だから危険なのではない。

 この声が、敵の通り道を使っているかもしれないから危険なのだ。

 水そのものは澄んでいても、井戸が毒に浸かっていれば飲めない。声の奥に助けようとする意志があっても、ここへ届くまでに何かが混ざるなら、それはもう安全な声ではない。

 床下の文字が、さらに震えた。

『リュ……』

 私は反射的に言った。

「名は出すな」

 声が、自分でも驚くほど鋭かった。

 ルミナが肩を震わせる。

 案内端末の警告枠が一段濃くなる。

案内端末『音声反応、強い拒否』

ナギサ『名に反応しましたか』

「名は鍵だ」

 私は床を睨んだ。

「あの夜の部下の名は、ここでは出さない。返声にも出させない」

『名は』

 文字が止まる。

『鍵』

 それだけが残った。

 私は、奥歯を噛む。

 真似か。

 理解か。

 記憶か。

 それとも、私が今教えてしまったのか。

 どれでもあり得る。

 どれでも、腹が立つ。

ルミナ『クオさん、今の名前は』

「聞かなかったことにしてくれ」

ルミナ『はい』

 ルミナは、それ以上聞かなかった。

 ありがたかった。

 人は優しさで傷を撫でることがある。だが彼女は、今は触れない方がいいと分かってくれたらしい。

案内端末『相互記憶判定としては不十分です』

「分かっている」

ナギサ『ただし、重要な接続が発生しました。前世の魔王軍変質現場にあった黒い歯車状異物と、現世の旧線路下保存層返声が、「歌」または聴覚危険を介して接続されています』

案内端末『それは記憶の共有ではなく、脅威構造の類似かもしれません』

「それでも十分だ」

案内端末『何に十分なのですか』

「この戦いが、私の前世で終わっていなかったと認めるには」

 言葉にしてしまうと、胸の奥が重くなった。

 女神は言った。

 私の戦いは、まだ終わっていないと。

 その時は、神の都合のいい言葉だと思った。死んだ者を別の戦場へ送り直すための、きれいな言い訳だと。

 だが、もしあの黒い歯車が、本当にこの世界の災厄と似た場所から来たものなら。

 もし魔王軍を変質させた何かが、剣と魔法の世界へまで染み出していたなら。

 私は転生したのではない。

 戦線を越えて戻されただけだ。

 以前の私が守れなかったものの、別の端へ。

『下』

 返声が、また文字を出した。

『線路』

 表示が乱れる。

『耳』

 旧線路の投影が一瞬だけ、無数の細い線に分かれた。

 レールではない。

 導線でもない。

 それは、巨大な獣の耳の中に生えた毛のように見えた。

 都市が聞いている。

 そんな馬鹿げた考えが浮かび、すぐに消えなかった。

ルミナ『線路が、耳……?』

案内端末『比喩、または旧線路下保存層の聴覚系センサー群を指す可能性があります』

ナギサ『旧秋葉原駅下層保存域は、返声事故後に封鎖されています。聴覚系センサーの存在は公開情報ではありません』

案内端末『公開情報ではありませんが、私の権限では肯定できません』

「つまり、あるかもしれない」

案内端末『肯定できません』

「否定もしない」

案内端末『行政表現を攻略しないでください』

「剣よりは通りがいい」

 ほんの少しだけ、ルミナが笑った。

 その笑いで、私の中の何かが地面に戻った。

 まだ大丈夫だ。

 私はまだ、目の前の者の声を聞き分けられる。

 床下の返声と、隣にいるルミナの声を、同じものにはしていない。

 それだけは守らねばならない。

「ナギサ。判定は」

ナギサ『相互記憶判定、成立とは認めません』

「だろうな」

ナギサ『ただし、前回より危険度は上がりました』

「返声が敵だからか」

ナギサ『いいえ。そこは修正します。返声そのものを敵性とは断定しません。むしろ、警告意図を含む可能性があります』

案内端末『ですが、伝達経路は敵性侵食を受けている可能性があります』

ナギサ『はい。声の中身と、声が通ってくる道を分けて考えるべきです』

「澄んだ水でも、井戸が毒なら飲めない」

ナギサ『その理解でよいと思います』

「接続させたのか、もともと繋がっていたのを見たのか」

ナギサ『未判定です』

「便利な言葉だ」

ナギサ『現状に最も誠実な言葉です』

 私は頷いた。

 誠実なら、嫌な言葉でも飲み込める。

 床下の文字は、最後に一度だけ揺れた。

『拾うな』

 続いて。

『聞くな』

 さらに。

『歌わせるな』

 ルミナの手が強張った。

 私は、その手を握り返した。

「それは、まだ命令としては受け取らない」

『歌わせるな』

「警告としては聞く」

 返声は止まった。

 旧線路の光が、細く細く沈んでいく。

 展示区の明かりが戻る。旧電気街の看板、保存された高架の影、透明床の下の古いレール。何もかもが、さっきまでと同じ顔をしていた。

 同じ顔をしているものほど信用ならない。

ルミナ『私は、歌いません』

「今はな」

ルミナ『今は、ですか』

「君の歌が危険なのか、君の歌を恐れているものがいるのか、まだ分からない」

案内端末『後者の場合、歌唱は対抗手段である可能性もあります』

ナギサ『前者の場合、侵食の導線です』

「つまり、いつも通りだ」

ルミナ『いつも通り?』

「どちらに転んでも面倒だ」

 ルミナは、今度こそ少しだけ笑った。

 私は床下を見下ろす。

 黒い歯車。

 拾うな。

 聞くな。

 歌わせるな。

 その言葉が、私を守ろうとしているのか。

 私を正しい罠へ誘導しているのか。

 それとも、誰かが罠の中から必死に警告しているのか。

 まだ分からない。

 ただ一つ分かったのは、あの声を敵として斬るには、まだ早いということだ。

 そして、味方として信じるには、あまりに深い場所から聞こえている。

 剣で斬れるなら楽だった。

 だが、どうやら次の敵は、耳から入ってくるらしい。

この話の選択肢

  1. ナギサに、前世の黒い歯車と機械生命体の記録照合を正式に頼む
  2. ルミナに、歌唱機能が侵食導線なのか対抗手段なのか自己診断してもらう
  3. 案内端末に、旧線路下保存層の聴覚系センサー記録を開示させる
  4. 返声に、黒い歯車がこの秋葉原にも存在するのかだけを問う正史