アルゲンティア戦記灰の下
前の話で選んだ選択肢「どうやって死んだ」と、父の最期を問い質す。
井戸に背を向けた。だが、足は、そこから一歩も動かなかった。
胸の上には、確かに三つの石が乗っている。父があった。父は死んだ。父も無印だった。重い。重いのに——その重さには、まだ「かたち」がなかった。手のひらに乗せても、握る角がない。とりわけ、二つめの石が。
死んだ、と声は言った。とうに、と。だが、人はただ「死んだ」だけでは死なない。病か、老いか、刃か。死には、かならず死に方がある。その死に方を知らないかぎり、父はまだ、クオの中で、輪郭のない影のままだった。会ったことのない男の、顔のない死。それは、悼むことも、怒ることも、どこへ向ければいいのか分からない。
——半端だ。
クオは、奥歯を噛んだ。ここで背を向ければ、その半端を、一生引きずる。声の言う「順序」になど、付き合うつもりはなかった。だが、これだけは。これだけは、今、聞いておかねばならない。
クオは、井戸へ向き直った。
「どうやって死んだ」
声を、底へ落とした。今度は、問いというより、迫るような響きになった。
「その男は、どうやって死んだ。病か。歳か。それとも——誰かに、殺されたのか」
返事は、すぐには来なかった。風が、苔むした縁を撫でていく。クオは、自分の問いの最後のひとことが、思いのほか冷たく響いたことに、自分で気づいていた。殺されたのか。なぜ、そう訊いた。根拠などない。ただ、口が、そう動いた。
やがて、底の暗がりが、ゆっくりと言葉を吐いた。
「……火だ」
「火?」
「焼けて、死んだ。ひと晩で」声は、低く、平らだった。感情を、わざと削いだような平らさだった。「お前の父だけではない。村が、ひとつ。家も、畑も、人も、犬も。ひと晩のうちに、何もかもが、灰になった」
クオは、息を止めた。
村。ひとつ。
頭の中で、見たこともない光景が、勝手に組み上がっていく。夜の空を焦がす赤。崩れ落ちる梁。逃げ惑う影。そして、朝が来たとき、そこに在ったのは——黒い、平らな、灰の野だけ。
「お前の父は」声は続けた。「その灰の、下にいる。墓もない。骨も拾われなかった。名を刻む石ひとつ、立っておらん。ただ、灰だ」
灰。
クオの足元に、その一語が、ずしりと落ちた。会ったこともない父。その死に、ようやく与えられた「かたち」が——灰だった。墓でも、骨でもなく。触れることも、手を合わせることもできない、風に散る灰。
それは、奇妙なほど、クオ自身に似ていた。無縁仏の子。穢れ。無印。名を呼ばれず、数にも入れられず、村の隅に置かれて生きてきた、自分。父は灰になって名を失い、子は生きながらにして名を奪われた。形は違えど、二人とも、同じものを奪われている——そんな気が、した。
そして、もうひとつ。
「……俺は」クオは、掠れた声で言った。「俺は、なぜ、生きている」
村がひとつ、ひと晩で灰になった。家も、人も、犬も。なら、なぜ自分は、ここにいる。なぜ、よりにもよってこの村の納屋に、赤子のまま、独りで。
声は、それには、すぐには答えなかった。
「気づいたか」とだけ、低く言った。どこか、満足げな響きすら、あった。「灰の中から、ひとつだけ、こぼれ落ちた火種がある。それが、どうしてこの村の隅に転がっていたのか——それも、いずれ、順序が来れば」
「順序、順序と」クオは、苛立ちを抑えきれなかった。「いつも、それだ」
「焦るな」声は、笑いを含んだ。「お前は今日、ひとつ覚えた。父は、火で死んだ。村ごと、灰になった。——それで、もう腹いっぱいのはずだ。これ以上は、今日のお前には、重すぎる」
それきり、声は、また退いていった。
「持って帰れ。灰の重さを。歩いて、慣れろ。慣れたぶんだけ、次が背負える。井戸は、逃げん」
底の暗がりが、ただの暗がりに戻る。
クオは、しばらく、その場に立ち尽くしていた。朝の光が、すっかり高くなって、井戸の縁の苔を、青く濡らしている。父は、火で死んだ。村ごと、灰になった。そして、その灰の中から、ただひとつ、自分だけが、こぼれ落ちた。
なぜ。
その問いを、クオは、まだ答えの出ないまま、四つめの石として、胸の上にそっと積んだ。三つだったものが、四つになった。重さは、増した。だが、不思議と、足は、さっきよりも、地を踏みしめていた。
クオは、ゆっくりと顔を上げ、朝の野の、その先を見た。
この話の選択肢
- 「誰が、村を焼いた」と、火を放った者を問い詰める。
- 「なぜ俺だけが生き延びた」と、自分がこぼれ落ちた理由を問う。
- これ以上は聞かず、灰の重さを抱えて井戸を離れ、街道へ出る。正史