転生したら秋葉原だった返響操糸
前の話で選んだ選択肢保全協力者登録の条件を確認し、クオが合法的に現場へ出る道を探す
「では、私は何から始めればいい」
投影地図の光が、まだ机の上に残っていた。
韓国半島防衛線。台湾・南西諸島連絡線。北太平洋防衛線。オーストラリア防衛圏。日本列島防衛圏。
その網の上を、さっきは小さな点が滑った。
随伴電子戦子機の教材カーソル。
使い魔ではない。剣でもない。だが、見えない戦場の斥候になり得るもの。
そして、それが私の視線か、意図か、返響視か、何かに反応した。
私はその熱を、まだ胸の奥に感じていた。
ナギサ『保全協力者登録の条件を確認します』
ナギサの投影面が切り替わった。
地図ではなく、項目の一覧が出る。文字は読める。女神の祝福のおかげだ。だが、内容はすぐには飲み込めなかった。
本人確認。
仮登録状態の継続確認。
安全講習。
作業範囲の限定。
監督者の指定。
装備貸与の記録。
異常感知申告の扱い。
緊急時の撤退義務。
「撤退義務」
案内端末『重要です。保全協力者は、危険を確認した場合、単独判断で深追いしてはいけません』
「危険を見つけた者が退くのか」
ミトラ「むしろ、退ける人じゃないと連れて行けない」
「戦場では、踏み込まなければ救えない時がある」
ナギサ『あります。ですが、踏み込む権限と準備のない者が踏み込むと、救助対象が増えます』
言い返せなかった。
前世でも、それはあった。勇敢な若い兵が、倒れた仲間を助けようとして飛び出し、二人目の負傷者になる。さらに三人目が行く。そうして部隊が崩れる。
勇気は美徳だ。
だが、配置を無視した勇気は、時に敵より厄介だった。
「保全協力者とは、兵ではないのだな」
ナギサ『はい。軍人ではありません。都市や防衛圏の機能を維持するため、許可された場所で、許可された作業を行う協力者です』
案内端末『保全協力者に許されるのは、原則として修理、確認、通報、誘導補助、低危険区域での物理作業、訓練下での観測補助です』
「討伐は」
案内端末『ありません』
「撃破報酬は」
案内端末『ありません』
「魔物の素材買い取りは」
ミトラ「ないってば」
ルミナ『クオさん、まだ少し期待していましたか?』
「制度として分かりやすいのだ」
ミトラ「分かりやすいけど、この時代にそれやったら事故るよ。誰が勝手にどこへ行ったか分からないの、都市網的には最悪だから」
「個人の武勇ではなく、所在と権限が重要なのか」
ナギサ『はい。誰が、どこにいて、何をしてよくて、何をしてはいけないか。それが防衛の一部です』
所在と権限。
また呪文のような言葉だった。
だが、少しずつ分かってきている。
この世界では、剣を抜く前に、そこにいてよい理由が必要なのだ。
「なら、私はまず保全協力者になる」
ナギサ『候補登録の申請は可能です。ただし、即時承認ではありません』
「また不足が並ぶのか」
ナギサ『はい』
「容赦がない」
案内端末『事実です』
ナギサは項目を淡々と読み上げた。
ナギサ『読み書きと現代語彙の確認。第七層安全講習。都市網基礎。退避規則。工具安全。感染・侵食疑い時の隔離手順。同行監督者の登録。返響視に関する異常感知申告の追加審査』
「最後が重いな」
ナギサ『重いです』
即答だった。
私は机の端に視線を落とした。
先ほど、随伴電子戦子機の教材カーソルが動いた場所。もう何も浮かんでいない。だが、私の感覚には、細い糸の跡のようなものが残っている。
見えない糸。
こちらから伸ばしたつもりはない。だが、向こうが引かれた。
「ナギサ。あれを何と呼ぶ」
ナギサ『あれ、とは』
「端末を介さずに、随伴電子戦子機の表示が私の意図へ反応した現象だ。名前がないと扱いにくい」
案内端末『現時点の仮分類は、非端末性意図入力です』
「弱い」
案内端末『分類名に強弱は不要です』
「いや、弱い。魔法名としても、技名としても、士気が上がらない」
ミトラ「技名にする気なんだ」
「自分の武器になるかもしれないものだ。名は要る」
ルミナ『では、返響視から伸びる糸のようなもの、でしょうか』
ルミナが小さく手を動かした。
光の指先に、細い線が一瞬だけ浮かぶ。投影の演出だと分かっていても、私にはそれがしっくり来た。
糸。
剣ではない。手でもない。だが、離れたものへ触れる。
「返響の糸」
ルミナ『操るなら、返響操糸、でしょうか』
「返響操糸」
口の中で転がす。
悪くない。
返ってくる響きを見て、糸で触れる。
直接命令するのではない。力でねじ伏せるのでもない。向こうの反応を聞き、ずれを感じ、糸をかける。
案内端末『正式名称としては不適切です』
「正式名称にはしなくていい。私が覚える名だ」
ナギサ『記録上は、非端末性意図入力。クオ本人の呼称として、返響操糸を併記します』
「よし」
ミトラ「隊長さん、ちょっと嬉しそう」
「武器の名が決まるのは大事だ」
案内端末『武器ではありません』
「まだ、な」
言ってから、自分で少し冷えた。
まだ。
私は今、何を考えた。
端末を介さず、電子戦子機に意図を通せるなら、それは確かに武器になる。見えない戦場の斥候。囮信号。侵食波形の観測。局所遮断。認証補助。
剣の代わりではない。
だが、剣より遠くへ届く手だ。
もし使えるなら、私は役に立つ。
だが、役に立つ者は、使われる。
前世の記憶が、そこで開いた。
魔法の適性を持つ子供は、神殿へ送られた。
希少な目を持つ者は、王都の奥で検査された。
呪いを見分ける者は、毒見役より先に戦場へ出された。
治癒の力を持つ者は、眠る暇もなく傷病兵の列に置かれた。
私も、完全に自由だったわけではない。魔法剣士として扱われ、戦えるから戦場へ送られた。成果を出せば、次はさらに危険な場所へ送られる。
特殊な力は、国にとって有益だ。
有益なものは、囲われる。
囲われた者は、人ではなくなることがある。
「ナギサ」
ナギサ『はい』
「この世界では、特殊な能力を持つ者をどう扱う」
ミトラがこちらを見た。
ルミナの光が、そっと静かになる。
「私のいた世界では、特殊能力を持つ者は、その有益性を国に活かすために集められた。保護と言われることもあった。教育と言われることもあった。だが、実際には、実験動物のように扱われる者もいた」
声は思ったより低かった。
「戦場では酷使された。見えるなら見ろ。治せるなら治せ。斬れるなら斬れ。耐えられるなら、まだ立てるだろうと言われる」
私は自分の手を見た。
剣を握っていない手。
皿を洗った手。
まだこの世界の端末の持ち方すら怪しい手。
「もし返響操糸が役に立つなら、私はこの世界でも同じように扱われるのか」
誰もすぐには答えなかった。
案内端末でさえ、余計な補足を入れなかった。
最初に口を開いたのはナギサだった。
ナギサ『この世界では、少なくとも制度上、そのような扱いは許可されません』
「制度上」
ナギサ『はい。完全にない、と無責任には言いません。戦時下で、すべての現場が常に正しいとは限りません。ですが、人間を実験動物として扱うこと、同意なく能力検査へ拘束すること、本人の撤回権を奪って戦場投入することは、人権監査AIと人格権保全規約により、強く制限されています』
「人権監査AI」
案内端末『人間の人格権、身体権、同意権、撤回権、医療情報、能力情報の濫用を監査するAI群です』
「AIが人権を守るのか」
ナギサ『人間だけでは守り切れなかったためです』
短い言葉だった。
だが、重かった。
ナギサ『機械生命体との戦争以前から、人間は有用な人間を使い潰す傾向を持っていました。戦時下では、その危険がさらに増します。そのため、人権監査AIは、軍、研究機関、都市行政、医療系統、防衛組織の行動を横断監査します』
ミトラ「すごくざっくり言うと、偉い人でも、便利だからって勝手に人を連れていけないように見張る仕組み」
案内端末『ざっくりですが、概ね正しいです』
ルミナ『私たち公共人格も、完全ではありません。でも、同意なしに誰かを使う命令には、抵抗するよう設計されています』
私はルミナを見た。
歌わない歌姫。
人を落ち着かせる声を持ちながら、歌唱同期の危険のために自分を止めている存在。
「ルミナも、そうなのか」
ルミナ『はい。私の歌が役に立つとしても、誰かを危険に巻き込むなら、止める仕組みがあります。だから、クオさんにもあります』
「私にも」
ナギサ『あなたにもあります。あなたの能力情報は保護対象です。検証には目的、範囲、監督、撤回権、記録開示が必要です』
「だが、戦争中だ」
ナギサ『戦争中です』
「なら、役に立つなら使われるだろう」
ナギサは否定しなかった。
それが、逆に信用できた。
ナギサ『活躍してもらう可能性は高いです』
私は小さく息を吐いた。
ナギサ『返響視、魔力様反応、返響操糸。これらが本当に侵食波形や電子戦子機に干渉できるなら、人類圏にとって重要です。あなたに協力を求める者は出ます。保全協力者としての訓練、監督下での検証、限定区域での観測補助。段階的に、あなたの力を活かす提案は行われるでしょう』
「やはり使うのではないか」
ナギサ『使います。ただし、あなたを物として使うのではありません。あなたが理解し、同意し、撤回できる範囲で、あなたに役割を持ってもらう、という意味です』
案内端末『同意なき拘束、能力情報の無断共有、戦域投入の強制は違反です』
ミトラ「それでも、頼まれることはあると思う。たぶん、いっぱい」
ルミナ『でも、断る権利もあります』
「断ってよいのか」
ルミナ『はい。怖い時は怖いと言っていいです』
その言葉は、妙に胸に刺さった。
怖い時は怖いと言っていい。
前世の戦場で、それを言えた者がどれだけいただろう。将が怖いと言えば兵が揺らぐ。魔法剣士が怖いと言えば、士気が落ちる。だから誰も言わない。言わないまま、死ぬ。
「私は、怖いのか」
自分で言ってから、答えが分かった。
怖い。
剣がないことではない。
役に立たないことでもない。
役に立ちすぎることが、怖い。
返響操糸が本当に使えるなら、私はこの世界で初めて、自分の居場所を得るかもしれない。
だが同時に、また戦場へ吸い込まれるかもしれない。
人のために立てることは誇りだ。
人のために使い潰されることは、誇りではない。
「ナギサ」
ナギサ『はい』
「私は、この力を武器にしたい」
言い切った。
ミトラが息を止める。
案内端末が何か言いかける。
私は続けた。
「だが、誰かに握られる武器にはなりたくない」
机の上の投影が、わずかに揺れた。
地図の線が、青く細く光る。
「返響操糸を、自分の武器として扱う方法を探したい。勝手に戦場へ出るためではない。誰かを斬るためでもない。侵食を見つけ、嘘を疑い、子機を通じて危険な場所へ先に糸を伸ばすためだ」
ナギサ『理解しました』
「保全協力者登録の中で、それは可能か」
ナギサ『現時点で可能なのは、能力検証ではなく、観測補助申告です』
「違いは」
案内端末『能力検証は、あなたの能力そのものを測る行為です。観測補助申告は、あなたが作業中に感じた異常を報告する枠です。後者の方が負荷が低く、拘束性も低い』
ミトラ「まずは“この人、変なものに気づくかもしれません”って登録する感じ」
「弱い」
ミトラ「弱くていいの。最初から強い登録にすると、強い責任も来る」
強い登録。
強い責任。
私は少し考えた。
「では、弱い登録から始める」
ルミナ『いいと思います』
ナギサ『保全協力者候補登録。付帯申告として、異常波形主観感知あり。本人呼称、返響操糸。正式分類、非端末性意図入力疑い。実機接続不可。訓練表示への再接触は監督下のみ』
案内端末『加えて、本人の撤回権を明記します』
「撤回権」
ナギサ『怖くなったら止められる、ということです』
私は黙った。
それは、戦場の言葉ではなかった。
だが、人間の言葉だった。
「分かった。登録してくれ」
ナギサ『申請書式を作成します。即時承認ではありません』
「もう驚かない」
案内端末『成長を確認しました』
「評価されると腹が立つな」
ミトラ「でも、今のは本当に成長だと思うよ」
ルミナ『はい。武器にしたいと言いながら、止まる権利も一緒に求めました』
私は机の上の投影を見た。
小さな点は出ていない。
糸も見えない。
だが、胸の奥には、確かに細い感覚がある。
返響操糸。
まだ技ではない。
まだ武器でもない。
だが、名前を得た。
制度の中で試す道も、かすかに見えた。
剣を失った魔法剣士は、ようやくこの世界で、自分の力を自分のものとして扱うための最初の線を引いた。
誰かに握られるためではなく。
誰かを守る時、自分で握れるように。
この話の選択肢
- 保全協力者候補登録の申請書式を確認し、クオに許される作業範囲を具体化する正史
- 返響操糸の再現実験を、訓練表示だけに限定して監督下で行う
- 人権監査AIと人格権保全規約について、ナギサに詳しく聞く
- ミトラに、保全協力者として最初に任される現場作業の実例を教えてもらう