転生したら秋葉原だった歌に結ぶ糸
前の話で選んだ選択肢保全協力者候補登録の申請書式を確認し、クオに許される作業範囲を具体化する
ナギサが作成した申請書式は、戦場の命令書というより、契約書に近かった。
保全協力者候補登録。
氏名。仮登録名。滞在資格。現在の保護区分。監督者候補。作業可能区域。禁止区域。装備貸与範囲。異常感知申告。撤退義務。記録閲覧権。撤回権。
文字は読める。
だが、読むほどに、剣の柄ではなく、細い縄で体を測られているような気分になった。
「これが登録か」
ナギサ『はい。正式な保全協力者ではなく、その前段階の候補登録です』
案内端末『保護付き仮登録者が関与可能な最低限の作業枠です』
「最低限」
ミトラ「最初はそんなものだよ。いきなり危ない現場に出されたら困るし」
「私は危ない現場には慣れている」
案内端末『この世界の危ない現場には慣れていません』
「それは、そうだ」
認めるしかなかった。
魔王軍の陣形、毒沼、呪いの森、飛竜の巣、崩れかけた城壁。そのどれも私は知っている。だが、二三〇〇年の都市網障害、電子戦、認証侵食、避難誘導汚染については、まだ地図を一枚見ただけだ。
前世の熟練は、この世界では半分ほど役に立ち、半分ほど危険になる。
ナギサ『クオに現時点で許可可能な範囲を表示します』
投影面に、緑、黄、赤の枠が並んだ。
緑。
再整備倉庫内の整理補助。
アキバ炊事場周辺の軽作業。
旧部品市外縁の低危険区域における同行観察。
工具安全講習。
都市網基礎講習。
異常感知の口頭申告。
黄色。
低接続工具の監督下試用。
訓練表示への監督下接触。
非端末性意図入力の再現観察。
歌唱同期停止中の公共人格との会話観察。
赤。
単独行動。
防衛系統への接続。
実機電子戦子機の操作。
高危険区域への進入。
第三退避記録庫方面への転用。
公共人格との未承認同期。
「赤が多い」
案内端末『当然です』
「当然と言われると、少し腹が立つ」
ミトラ「でも当然だよ、隊長さん」
ルミナ『赤が多いのは、守られているという意味でもあります』
「赤は拒絶ではなく、防壁か」
ナギサ『近いです。許可されていないことは、あなたを信用していないからではなく、あなたと周囲の双方を守るためにあります』
私は緑の欄を見る。
整理補助。
軽作業。
同行観察。
口頭申告。
剣も魔法もない言葉ばかりだ。
だが、前話で私は決めた。弱い登録から始めると。弱い登録には、弱い自由がある。強い登録には、強い責任と、強い拘束が来る。
「返響操糸は、どこに入る」
ナギサ『現時点では黄色です。訓練表示への監督下接触。非端末性意図入力の再現観察。実機接続は不可』
「武器として使うには」
案内端末『不可』
「早い」
案内端末『早く否定すべき内容です』
ミトラ「まだ名前をつけたばっかりでしょ。剣だって、拾った日に真剣勝負はしないよね」
「前世ではしたことがある」
ミトラ「しない方がいいやつだよ、それ」
ルミナ『今は、使うためではなく、壊さないために知る段階ですね』
壊さないために知る。
その言葉で、私は少し黙った。
返響操糸。
名を得たばかりの糸。どこまで伸びるのか、何を掴めるのか、何を傷つけるのかも分からない。
糸は、手より遠くへ届く。
だが、糸は絡まる。
「この申請書式では、私は何を報告できる」
ナギサ『異常波形の主観感知。視線または意図に近い入力の発生。電子戦訓練表示への予期せぬ反応。公共人格、都市網、案内端末、訓練教材に対する不自然な赤・黒・白の流れの感知』
「色も書くのか」
案内端末『あなたの主観現象は色彩表現で出るため、記録上有効です』
「戦場報告に“黒く見えた”と書くのは、少し間抜けではないか」
ナギサ『間抜けではありません。専門用語に変換しすぎると、かえって原感覚を失います』
ルミナ『クオさんが見たまま言ってくれた方が、私たちには大事です』
私はルミナを見た。
光の輪郭。
柔らかい声。
今は歌っていない歌姫。
歌えないのではなく、歌ってはいけない状態。
歌唱同期停止。
危険なものを避けるための沈黙。
私の中で、いくつかの線が結ばれた。
返響操糸は、電子戦子機にだけ伸びるとは限らない。
返響視は、流れの縁を見る。
魔力様反応は、模擬侵食ノイズに触れた。
ルミナの歌は、過去に侵食波形と関係した。
もし、私の糸が、歌の流れに触れられるなら。
「ルミナ」
ルミナ『はい』
「私が、君と直結できればどうなる」
言った瞬間、休憩区画の空気が変わった。
ミトラが、持っていた紙コップを少し傾けた。
案内端末『表現の精査を推奨します』
ナギサ『クオ。意図を説明してください』
ルミナ『直結、ですか』
ルミナの投影光が、ほんの少しだけ強くなった。
頬に当たる部分の色が、わずかに温かくなる。
実体ではない。血もない。だが、どう見ても照れていた。
ルミナ『それは、その……かなり、距離が近い言い方ですね』
「近い?」
ミトラ「隊長さん、今の言い方はちょっと強い」
「強いのか。戦術的に?」
ミトラ「戦術じゃない方向に」
「分からない」
案内端末『分からないなら、なおさら表現を改めてください』
私は困惑した。
直結。
接続を迂回せず、間に端末を置かず、直接つなぐという意味で言った。だが、ルミナはなぜか視線をそらしている。投影人格が視線をそらすというのも奇妙だが、今は確かにそう見えた。
「不適切だったか」
ルミナ『不適切では、ありません。ただ、人格に対して“直結”と言われると、少し……内側に入られるように聞こえます』
「内側に、入られる」
ナギサ『公共人格との直接同期、あるいは人格間直接接続に近い表現です。高感度の権利領域に該当します』
案内端末『本人同意、接続目的、接続範囲、記録隔離、遮断権、第三者監督が必要です』
「待て。私はそういう意味で言ったのではない」
ミトラ「じゃあ、どういう意味?」
私は一度、言葉を選んだ。
ここで曖昧にすれば、また危険な誤解を生む。
「ルミナの歌は、侵食の危険があるから止められている。そう理解している」
ルミナ『はい』
「だが、歌そのものが人を救うことも、私は知っている。中央通りで聞いた時、あれは娯楽だけではなかった。祈りに近かった」
ルミナは静かにこちらを見た。
「もし私が、返響操糸でルミナの歌の流れを見られるなら。歌う前、歌っている間、歌った後に、赤や黒が混ざるかを感じ取れるなら。ルミナが侵食されているかどうか、早く分かるのではないか」
私は机の上に指を置いた。
投影地図の線はもう薄い。
だが、私にはまだ糸の感覚が残っている。
「そうすれば、歌の運用を安全に戻せるかもしれない。今より広く、今より安心して。ルミナが歌える場所を増やせるかもしれない」
少しだけ、声が強くなった。
「私は、君の情報を覗きたいわけではない。君を操りたいわけでもない。歌が黒く染まるなら止める。白く保てるなら、歌える場所を探す。そのために、返響操糸を使えないかと思った」
休憩区画は静かになった。
ミトラが紙コップを机に置く。
案内端末も、今回はすぐには否定しなかった。
ルミナは、少し俯いた。
ルミナ『私の歌を、取り戻すために、ですか』
「取り戻すというのが正しいかは分からない。だが、君が歌えないままでいいとは思わない」
ルミナ『……直結、ですか』
もう一度、ルミナはその言葉を繰り返した。
今度は、からかうような響きが少し混ざっていた。
ルミナ『クオさんは、時々、とても真面目な顔で大胆なことを言いますね』
「大胆だったのか」
ミトラ「かなり」
案内端末『かなり』
ナギサ『表現は要修正ですが、着想自体は検討価値があります』
「本当か」
ナギサ『はい。ルミナの歌唱同期停止を解除するには、歌唱中の侵食兆候を検出する監視系が必要です。現行の機械的監視だけでは、歌・祈り・名前・慰撫投影の意味反応を完全には評価できません』
案内端末『クオの返響視が意味反応や侵食波形の縁を主観的に拾えるなら、補助監視としての価値はあります』
「なら」
ナギサ『ただし、直結は不可です』
「また早い」
ナギサ『言葉の意味が広すぎます。現時点で認められる可能性があるのは、ルミナ本人の同意を前提とした、低深度・片方向・短時間・記録隔離つきの歌唱状態観測です』
「長い」
案内端末『正式名称です』
「技名としては弱い」
案内端末『技名ではありません』
ルミナ『私は、少し好きです。長くて、慎重で』
ミトラ「じゃあ現場名は?」
ミトラがにやりとした。
ミトラ「直結は強すぎるとして、返響操糸で歌を見るんでしょ。歌糸、とか?」
「歌糸」
ルミナ『歌に糸を結ぶのですか』
「嫌か」
ルミナ『嫌ではありません。ただ、少し、落ち着かない名前です』
落ち着かない。
投影人格が、落ち着かないと言う。
不思議なものだ。
「では、歌糸は現場名だ。正式には、低深度歌唱状態観測」
案内端末『片方向、短時間、記録隔離つきを省略しないでください』
「長すぎる」
ナギサ『省略不可です』
ルミナ『でも、歌糸なら、私にも分かりやすいです』
ルミナはそう言って、少しだけ笑った。
歌ってはいない。
だが、その笑いは、歌に似ていた。
私は胸の奥で、細い糸が揺れるのを感じた。
これは、危険だ。
ルミナに近づきたいという感情と、ルミナの歌を守りたいという目的と、返響操糸を使いたいという欲が、同じ糸に絡まりかけている。
だからこそ、制度が要る。
同意が要る。
撤回権が要る。
誰かが止める目が要る。
「ナギサ。申請書式に追加できるか」
ナギサ『項目案としては可能です。ただし、保全協力者候補登録の範囲を超えます。別枠の事前相談扱いです』
「何と書く」
ナギサ『返響操糸を用いた公共慰撫投影人格の歌唱状態観測に関する事前相談』
「やはり長い」
案内端末『正式名称です』
ミトラ「現場名、歌糸」
ルミナ『本人確認、同意予定。歌糸、です』
ルミナは少しだけ手を重ねた。
投影なのに、その仕草は妙に人間らしかった。
ルミナ『ただ、クオさん。私にも怖さはあります』
「ルミナにも」
ルミナ『はい。私の中に黒が混ざっていると分かったら、歌えなくなるかもしれません。逆に、白いと言われたら、歌わなければならない気がするかもしれません』
私は息を止めた。
それは、私が言った恐怖と同じ形をしていた。
役に立つなら、使われる。
安全だと言われたなら、歌わされる。
「すまない」
ルミナ『謝らないでください。クオさんは、私を使うためではなく、私が歌える場所を探すために言ってくれました』
「だが、同じ刃になるかもしれない」
ルミナ『だから、止まれるようにしましょう』
ルミナは微笑んだ。
ルミナ『私が嫌なら止める。クオさんが怖いなら止める。ナギサが危険と判断したら止める。案内端末がうるさくても、たぶん止める』
案内端末『うるさいとは不正確です』
ミトラ「そこは正確だと思う」
「では、歌糸は、誰か一人でも嫌なら止める糸だ」
ナギサ『記録します。本人呼称、歌糸。正式扱いは事前相談。接続ではなく観測。目的は歌唱運用時の侵食兆候確認。条件は、ルミナの同意、クオの同意、監督者、遮断権、短時間、低深度、記録隔離』
「条件が多い」
ナギサ『必要です』
「分かった」
不思議だった。
条件が多いほど、糸は細くなると思っていた。
だが、今は違う。
条件が多いからこそ、糸は切れずに済むのかもしれない。
無理に太くすれば、人を縛る縄になる。
細く、弱く、すぐ切れるようにしておけば、人を守る糸になる。
返響操糸。
歌糸。
私はまだ、何も使えていない。
だが、何に使いたいのかは、少しずつ見えてきた。
遠くの敵を斬るためではない。
大切な歌が黒く染まる前に気づくため。
そして、歌っていい場所を、もう一度探すため。
「ルミナ」
ルミナ『はい』
「いつか試す時は、君が嫌なら止める」
ルミナ『では、クオさんが怖い時も止めてください』
「ああ」
ミトラ「私が危ないと思った時も止めて」
「もちろんだ」
案内端末『私の停止勧告も尊重してください』
「内容による」
案内端末『そこは即答で尊重してください』
ナギサ『申請書式に、歌糸に関する事前相談項目を追記します。なお、承認には相当の時間と審査が必要です』
「もう驚かない」
ミトラ「ほんとに成長したね」
ルミナ『はい。少しだけ』
「少しだけか」
私は苦笑し、机の上の申請書式へ視線を戻した。
緑、黄、赤。
許されること。まだ許されないこと。相談だけならできること。
この世界の道は、剣で斬り開くには細すぎる。
だが、糸なら通る隙間があるのかもしれない。
私はその細い道を、今度こそ誰かを縛るためではなく、誰かを守るために結びたいと思った。
この話の選択肢
- 歌糸の事前相談項目を詳しく読み、ルミナ本人の同意条件を確認する正史
- 保全協力者候補登録の緑枠作業から、最初にできる現場作業を選ぶ
- 返響操糸と歌糸を混同しないよう、ナギサに正式分類を整理してもらう
- ルミナに、歌えなくなってから一番怖かったことを聞く