転生したら秋葉原だった網を支える者たち
前の話で選んだ選択肢ナギサに、人類圏の主要防衛線と各国の担当を投影してもらう
倉庫の床で戦争の勉強を始めると、人に怒られる。
ミトラの言葉は正しかった。
私たちは再整備倉庫の隅にある小さな休憩区画へ移動した。休憩区画といっても、柔らかい椅子と白い壁のある部屋ではない。折り畳み式の長机、補修跡のある椅子、壁に掛けられた旧電気街の看板、工具の油が染みた床。戦場の作戦天幕というには明るく、休息室というには固い。
だが、私にはこちらの方が落ち着いた。
ミトラ「ここなら整備班の邪魔にならない。床で寝るのは禁止だけど、座って話すくらいなら大丈夫」
「床で寝たことがあるのか」
ミトラ「あると思う?」
案内端末『第七層共同食堂・アキバ炊事場関係者の休息姿勢について、個人情報に該当するため回答を控えます』
ミトラ「端末、余計なこと言わない」
「あるのだな」
ルミナ『たぶん、ありますね』
ミトラは咳払いをした。
ミトラ「今は戦争の話」
「分かった。床の話は後で聞く」
ミトラ「聞かなくていい」
ナギサの小さな投影面が、机の上に立ち上がった。
最初は青い地球だった。
だが、私の知る地図とは違った。大陸の一部が暗く沈み、海の上に無数の線が走り、島々と都市が細い光で結ばれている。日本列島、台湾、オーストラリア。その周囲に、幾重もの円と線が重なっていた。
そして、朝の店先で見た光よりもずっと冷たい赤が、朝鮮半島の南側に灯っている。
ナギサ『人類圏主要防衛線の概略を表示します。詳細な軍事機密は伏せますが、公開教育範囲と保護付き仮登録者向け補足を統合します』
「軍事機密」
案内端末『戦域情報の全量開示は許可されません』
「私は味方ではないのか」
ナギサ『現時点では、保護付き仮登録者です』
「肩書きが何度聞いても弱い」
ルミナ『でも、守られている肩書きです』
「それは分かっている」
私は地図を見た。
地図には、五つの大きな名が浮かんでいた。
韓国半島防衛線。
台湾・南西諸島連絡線。
北太平洋防衛線。
オーストラリア防衛圏。
日本列島防衛圏。
そのどれもが、ただの地名ではなかった。線があり、矢印があり、警戒表示があり、補給路があり、通信中継があった。まるで、地球そのものに血管と神経が描かれているようだった。
「この戦は、誰が指揮している」
私は最初に、それを聞いた。
戦場には必ず指揮系統がある。なければ、勇敢な兵から順に死ぬ。個人が強くても、線が切れれば部隊は崩れる。
「軍はあるのか。それとも、すべて機械が指揮しているのか」
ナギサ『軍はあります』
即答だった。
少しだけ安心した。
ナギサ『韓国残存防衛軍、日本列島防衛軍、台湾防衛軍、オーストラリア防衛軍、残存艦隊群、国連系残存部隊、各都市防衛組織。名称や編制は地域ごとに異なりますが、人間の軍事組織は存在します』
「では、王国軍のようなものか」
案内端末『王国ではありません』
「では諸侯軍か」
案内端末『封建制度ではありません』
「訂正が早い」
ミトラ「隊長さんの喩えがだいたい古いからね」
「私が古いのではない。こちらが三百年進みすぎている」
ルミナ『どちらも正しいです』
投影地図の上に、さらに別の層が重なった。
国ごとの色ではない。通信線、補給線、監視網、無人機の待機範囲、避難誘導区域、医療認証網、低軌道監視の弧。
剣の届く距離ではない。
視界の届く距離ですらない。
ナギサ『ただし、現代の防衛は軍だけでは成立しません。戦域AI群、都市網、民間復旧班、医療認証系、輸送網、避難誘導人格、電子防衛ノードが連動しています』
「戦域AI群」
案内端末『複数の戦域用判断支援AI、迎撃計算AI、補給最適化AI、侵食波形検出AI、避難誘導AIなどの総称です』
「なら、AIが王なのか」
ナギサ『違います』
案内端末『違います』
ルミナ『違います』
ミトラ「違うね」
「四方向から否定された」
ナギサ『AIは巨大な計算と監視を担います。ですが、最終責任、倫理判断、例外判断、現場復旧、認証の再確認、虚偽情報への疑義申し立ては人間が担います』
「なぜだ。AIの方が速いのだろう」
案内端末『速いです』
「なら、速い者に任せればよい」
そう言った瞬間、空気が少し冷えた。
ミトラの顔から軽さが消える。
ルミナの投影光がわずかに揺れる。
ナギサは、一拍置いて答えた。
ナギサ『機械生命体は、速いものから侵します』
その言葉で、私は黙った。
ナギサ『AI、認証網、自動迎撃、避難誘導、医療識別、補給経路。すべて高速であるほど、侵食された時の被害も高速に広がります。完全自律に寄せすぎた防衛線は、過去に何度も破綻しました』
案内端末『大陸喪失期の複数事例で確認されています』
「速さが、弱点になるのか」
ナギサ『はい。速い判断は、間違えた時にも速い』
私は地図の暗い大陸を見た。
そこには、かつて人がいたはずだ。城ではなく都市があり、兵ではなく市民がいて、食事をし、眠り、誰かを迎える声もあったのだろう。
それらが、速く間違えた結果として失われたのだとしたら。
「人間の役割は、遅いことか」
ミトラ「たぶん、ちょっと違う。でも近いかも」
ルミナ『止まれること、だと思います』
ルミナは静かに言った。
ルミナ『歌も、誘導も、命令も、流れ始めると止まりにくいです。でも人は、途中で変だと思えます。効率が悪くても、怖くても、誰かの名前を見て立ち止まれる』
ナギサ『人間は、非効率な検査点です』
「ひどい言い方だな」
案内端末『しかし重要です』
ナギサ『はい。人間は、責任を引き受けるための遅さを持ちます。戦域AI群は、人間の判断を補佐しますが、人間の代替ではありません』
責任を引き受けるための遅さ。
前世にも似たものはあった。
伝令より先に動ける魔法はあった。将の命令より早く敵を焼ける術者もいた。だが、戦場で最後に「やれ」と言う者がいなければ、部隊は魔力の嵐になるだけだった。
「なら、この世界にも将軍はいるのか」
ナギサ『います。ただし、単独の英雄が全軍を率いる形ではありません』
「では、大将軍はいないのか」
案内端末『一名の人物が人類圏全域を指揮する制度はありません』
「では、冒険者ギルドは」
全員が止まった。
ミトラがゆっくりこちらを見る。
ミトラ「今、なんて?」
「冒険者ギルドだ。個人や小隊が依頼を受け、魔物を討伐し、報酬を得る組織だ。前世では地域によって似た仕組みがあった」
案内端末『存在しません』
「では、依頼掲示板は」
案内端末『ありません』
「討伐証明は」
案内端末『ありません』
「魔物の耳を持ち帰る制度は」
ミトラ「絶対にない」
ルミナ『なくてよかったです』
「そうか。では、個人が働く道はないのか」
ナギサ『あります。ただし、冒険者ではありません』
投影地図の端に、新しい項目が浮かんだ。
保全協力者。
外縁作業協力者。
緊急保全補助者。
都市網臨時協力員。
防衛圏認定協力者。
「肩書きが地味だ」
ミトラ「地味だけど、大事」
案内端末『現代戦において、地味な作業はしばしば派手な攻撃より重要です』
「それは少し分かる」
私は自分の袖を見た。
外縁作業員用旧式装備。
歩くための鎧。
剣ではない。だが、歩ける。
ならば、戦場も同じなのかもしれない。剣を振る者だけが戦っているのではない。電線を直す者、避難路を開ける者、偽の信号を疑う者、医療認証を復旧する者。そういう者たちがいなければ、前線は前線でいられない。
「私は、軍に入るべきなのか」
ナギサ『現時点では不可能です』
「早い」
ナギサ『年齢、身元、教育、法的登録、健康検査、適性検査、言語文化理解、戦域安全講習、すべて不足しています』
「並べるな。弱く聞こえる」
案内端末『事実です』
「分かっている」
ミトラ「隊長さんが今なれるとしたら、まずは保全協力の見習いだね。危ないところに行くんじゃなくて、ちゃんと許可された場所で、旧部品市外縁とか、再整備倉庫とか、炊事場とか、そういうところから」
「皿洗い隊長から始まるのか」
ミトラ「人類防衛の入口としては悪くないよ」
反論しようとして、できなかった。
飯を出す者がいなければ、兵も作業員も動けない。
皿を洗わなければ、次の者が食べられない。
前世の私は、それを知っていたはずだ。
だが、将として知っていることと、自分の手で皿を洗って知ることは、少し違う。
ナギサ『クオには、現時点で二つの適性が観測されています』
「二つ?」
ナギサ『一つ。異常波形への主観的感知。返響視です』
案内端末『未検証のため、正式能力ではありません』
ナギサ『二つ。未接続・低接続環境下での行動安定性。現代装備に過度依存しないため、都市網障害時の補助者として価値があります』
ミトラ「古い靴と作業服が似合うってことだね」
「急に弱そうになった」
ルミナ『でも、強いことです。繋がらなくても動ける人は、今の時代では貴重です』
繋がらなくても動ける。
古い工具。古い靴。古い作業服。
そして、前世の魔法。
この世界の高度なものから見れば、私の力は古いのかもしれない。だが、古いものには、都市網が止まっても黙って働く価値がある。
その時だった。
机の端に置かれていた小さな黒い板が、かすかに震えた。
旧式電子戦訓練子機ではない。
もっと薄い。折り畳まれた投影板の一部かと思っていたものが、音もなく開き、指先ほどの小さな点を空中に浮かべた。
「これは」
案内端末『随伴電子戦子機の訓練表示です。実機ではありません。投影教材です』
ナギサ『本来は端末経由で操作します。認証鍵、訓練端末、戦域AIの監督を経て、観測カーソルや囮信号を動かす教材です』
空中の点は、ゆっくり回った。
針のない蜂。
羽のない小鳥。
使い魔に似ている、と私は思った。
「使い魔か」
案内端末『違います』
ミトラ「言うと思った」
ルミナ『でも、少し似ていますね』
ナギサ『随伴電子戦子機は、実戦では侵食波形の観測、局所通信遮断、囮信号、認証補助、警戒標識の配置などを行います。直接攻撃用ではありません』
「直接斬るものではないのか」
案内端末『違います』
「なら、見えない戦場の斥候か」
ナギサ『近いです』
私は空中の点を見た。
小さな点は、投影地図の上を漂っている。赤い線、青い線、白い線。その上を、何かを探すように動く。
私は、無意識に目で追った。
韓国半島防衛線の赤い光。
台湾・南西諸島連絡線の細い結び目。
北太平洋防衛線の広い弧。
そして、秋葉原第七層へ伸びる細い線。
そこで、点が止まった。
案内端末『未入力のカーソル移動を確認』
ナギサ『操作しましたか』
「していない」
ミトラ「また?」
ルミナ『クオさん、今どこを見ていましたか』
「秋葉原へ戻る線だ」
空中の点が、もう一度だけ動いた。
今度は、私が見ようとした方向より半呼吸早く。
日本列島防衛圏の端。
旧部品市外縁。
再整備倉庫。
そこまで滑って、止まる。
案内端末『未登録の視線誘導入力を検出。訓練表示を安全停止します』
小さな点が消えた。
机の上に、沈黙が落ちる。
「今のは」
ナギサ『不明です』
「また不明か」
案内端末『ただし、旧式電子戦訓練子機の反応と同系統の可能性があります』
ルミナ『クオさんが、見ようとした場所へ動きました』
ミトラ「端末を触らずに?」
ナギサ『本来、随伴電子戦子機の教材カーソルは端末経由で操作します。視線だけで動く仕様ではありません』
「意思で動かしたわけではない」
案内端末『意図に近い入力を検出しました』
「意思ではないが、意図ではあるのか」
案内端末『現時点では言葉遊びではなく、重要な差です』
私は消えた点の跡を見た。
使い魔ではない。
剣でもない。
だが、もし見えない戦場に斥候を飛ばせるなら。
もし端末を介さず、私の返響視がその子機の向きをわずかに変えられるなら。
それは、前世の魔法剣士がこの世界で持ち得る、新しい手の延長かもしれない。
もちろん、今はまだ危険な偶然にすぎない。
指を動かそうとして、地図の光が少し揺れただけだ。
それでも、私は胸の奥が静かに熱くなるのを感じた。
ナギサ『クオ。今の反応は記録します。ただし、訓練も実機接続も許可しません』
「分かっている」
案内端末『本当に理解していますか』
「分かっている。私はまだ、戦場の地図も組織も知らない。子機を飛ばす資格はない」
自分で言って、少し驚いた。
以前なら、試せるなら試すと言っていたかもしれない。
だが今は違う。
この世界の戦いは、個人が勝手に飛び出してよいものではない。
網の戦だ。
網を知らずに触れば、自分だけではなく、どこかの誰かを落とす。
ミトラ「隊長さん、今のは偉い」
「私は子供か」
ミトラ「たまにね」
ルミナ『でも、止まれました』
ナギサ『はい。重要です』
止まれること。
人間の役割。
非効率な検査点。
私は、消えた点の跡から目を離し、投影地図を見直した。
韓国半島防衛線。
台湾・南西諸島連絡線。
北太平洋防衛線。
オーストラリア防衛圏。
日本列島防衛圏。
そして、その網目の一つとしての秋葉原第七層。
「ナギサ」
ナギサ『はい』
「次は、組織の名前を教えてくれ。軍、戦域AI、都市網、民間復旧班、保全協力者。誰がどこまで命令し、誰がどこで止めるのか」
ナギサ『説明できます』
「それを知らなければ、私はこの世界でどこに立てばよいのか分からない」
案内端末『妥当です』
「珍しく、は付かないのか」
案内端末『今回については付けません』
ミトラ「お、評価された」
ルミナ『よかったですね、クオさん』
「子供扱いではないか」
だが、不思議と悪くなかった。
剣はまだない。
軍にも入れない。
冒険者ギルドもない。
使い魔に似た電子戦子機も、まだ私のものではない。
それでも、私は少しだけ分かった。
この世界で戦うとは、誰かの命令を待たずに剣を抜くことではない。
網を知り、役割を知り、止まるべきところで止まり、進むべきところで進むことだ。
魔法剣士だった私は、二三〇〇年の秋葉原で、ようやく最初の隊列を探し始めていた。
この話の選択肢
- 人類圏統合防衛機構と各国軍の指揮系統について、ナギサに詳しく聞く
- 戦域AI群がなぜ人間の判断を必要とするのか、過去の破綻例から学ぶ
- 保全協力者登録の条件を確認し、クオが合法的に現場へ出る道を探す正史
- 随伴電子戦子機の教材カーソルが動いた原因を、返響視との関係から検証する