転生したら秋葉原だった深層記録
前の話で選んだ選択肢展示の深層記録を開示してもらう
「では、開示してもらう」
私はそう言った。
ルミナの手は、まだ左手の中にあった。光でできた手。空気と機械と、この街の優しさが作った偽物の手。だが、今の私には確かに手だった。
目の前には、線の網が浮いている。
『旧研究分類:魔力様反応』
『大陸都市崩壊ログとの照合を開始』
『敵性侵食波形、隔離再現系へ接続』
『一致率――算出不能』
算出不能。分からない、と言えばよいものを、この世界はいつも難しく言う。
案内端末『深層記録の開示には、追加承認が必要です』
「誰の承認だ」
案内端末『展示管理系、行政支援人格、同行公共人格、本人同意です』
「多いな」
ルミナ『深層記録は、教育用展示ではありません』
「では、何だ」
ルミナ『残してしまった記録です』
その言い方が、少しだけ引っかかった。残した記録ではない。残ってしまった記録。
「消せなかった、ということか」
ルミナはすぐには答えなかった。
案内端末『行政支援人格ナギサへ照会します』
展示室の壁面に、細い光の窓が開いた。そこにナギサの姿が現れる。行政支援サテライトで見た時と同じ、整った黒い服。穏やかな表情。だが、目だけが紙を何枚も重ねたように冷静だった。
ナギサ『クオさん。深層記録の開示申請を確認しました』
「はい」
ナギサ『先に前提を訂正します。この記録は、秋葉原が敵本体に攻め込まれた記録ではありません』
「分かっている。だが、念のため聞く。ここは戦場跡ではないのだな」
ナギサ『はい。旧秋葉原地下・都市網実験区画は、他国で失われた都市の記録を元に、敵性侵食波形を隔離環境で再現した研究施設です』
案内端末『日本本土の防衛線は、当時も維持されています』
ナギサ『ただし、事故はありました。閲覧後、あなたの行動判断に強い影響を与える可能性があります』
「もう十分に影響されている」
ナギサ『その返答は予測内です』
「予測されると腹が立つな」
案内端末『会話ログは自動記録されています』
「お前たちは、本当に記録しすぎだ」
ルミナ『今回は、記録することに意味があります』
ルミナの手の圧が、ほんの少し強くなった。
ルミナ『忘れないために作られた記録と、忘れてはいけなかったのに閉じられた記録があります。これから開くのは、後者です』
「なら、なおさら開けるべきだ」
ナギサ『本人同意を確認。同行公共人格ルミナ、同意しますか』
ルミナ『同意します』
ナギサ『歩行者支援案内端末、監視補助を実行できますか』
案内端末『実行可能です。ただし、危険反応を検知した場合、閲覧を中断します』
「勝手に止めるな」
案内端末『止めます』
「言い切ったな」
案内端末『保護対象ですので』
「分かった。危険なら止めろ。ただし、止める前に一言言え」
案内端末『一言』
「そういう意味ではない」
*
展示室の地球が消えた。代わりに現れたのは、古い秋葉原だった。
いや、正確には、秋葉原を模した実験区画だった。高架。駅前広場。電気街口。細い店が並ぶ通り。看板。部品箱。人の波。それらは保存された旧秋葉原の実測データから作られているらしい。
大陸で失われた都市の避難ログを、秋葉原の都市模型へ流し込んだ再現映像だった。
案内端末『二一九〇年代記録。旧秋葉原地下・都市網実験区画』
ナギサ『使用データは、ユーラシアおよびアメリカ大陸の複数都市崩壊ログ。国内実験区画での隔離再現です』
「二一九〇年代」
ナギサ『現在から約一世紀前です』
「私には、もう十分未来だ」
映像の中で、人々が小さな部屋に集まっていた。白衣の者。軍服の者。作業着の者。歌う者。目を閉じて座る老人。子供の写真を握る女。誰も戦場にいる格好ではない。だが、部屋の空気は戦場に近かった。
『侵食波形、隔離再現開始』
『都市網本線との接続、遮断』
『被験者群、同期歌唱準備』
『祈祷語、民謡、個人名呼称、順次投入』
「歌か」
ルミナ『はい』
「祈りもあるな」
案内端末『当時の研究分類では、非機械的同期行動と呼ばれています』
「また長い」
ナギサ『複数の人間が、同じ意味を、同じ対象へ向ける行動です。歌、祈り、名前を呼ぶこと、約束、弔いなどが含まれます』
「それは、研究というより生活ではないのか」
ナギサ『はい』
ナギサは否定しなかった。
ナギサ『だから、危険でした』
映像が進む。機械生命体の侵食波形を模した赤い線が、白い網へ刺さる。都市網の模型だろう。赤い針が刺さると、網が歪む。前に見たものと同じだ。結界に針を刺された時の、あの乱れ。
だが、その横で人々が歌い始めた。聞いたことのない旋律だった。未来の歌か、昔の歌かも分からない。だが、声の芯は分かった。誰かを呼ぶ声だ。ここにいる、と知らせる声だ。
赤い針の周囲に、淡い青い輪が生まれた。
『位相差、発生』
『侵食再現波形、一部逸脱』
『隔離都市網応答、保持』
『避難誘導モデル、崩壊せず』
部屋の中で誰かが泣き、誰かが笑った。白衣の男が机を叩く。
『十一分二十二秒、保持』
『人間群同期による侵食抑制を確認』
『仮称:オルフェウス・プロトコル』
「オルフェウス」
案内端末『旧時代神話由来の名称です。歌で死の領域へ向かった人物に関連します』
「死の領域へ歌で向かうのか」
ルミナ『この研究を名付けた人たちは、たぶん、そういう気持ちだったのだと思います』
「戻れたのか」
ルミナは答えなかった。その沈黙で、だいたい分かった。
*
次の記録は、事故だった。始まりは、成功とほとんど同じだった。
『同期歌唱、第四試行』
『大陸都市崩壊ログ、救助音声層を追加』
『慰撫投影系、限定接続』
『隔離維持、確認』
「救助音声層とは何だ」
ナギサ『失われた都市で記録された、救助要請、家族呼称、避難誘導、慰撫音声の集合です』
「そんなものを流し込んだのか」
ナギサ『敵がそれを学習していたためです。対策には、再現が必要でした』
「必要な無礼と同じだな」
案内端末『規模が違います』
「分かっている」
映像の中で、歌が続く。淡い青い輪が侵食波形を押し返す。研究者たちの顔に、希望が浮かぶ。
その時、歌の外側から声が返った。
『お母さん』
古い音声が、展示室の空気を震わせた。私は思わず身構えた。剣はない。鎧もない。だが、身体だけは戦場の反応を忘れていなかった。
『ここだよ』
『こっちだよ』
『開けて』
声は、都市網の模型の中から聞こえていた。赤い侵食再現波形が、淡い青い輪に触れている。人間が機械に食われないために生み出した、細い抵抗の形。その内側で、赤い針が少しずつ、声の形を覚えていた。
「……真似ているのか」
ナギサ『はい』
ナギサ『初期実験では、人間同士の同期行動が侵食波形を逸脱させました。再現波形が、成功の理由を学習するまでは』
地下通路。高架下。旧線路下の保存層。部品箱が並ぶ倉庫。そこに、人を示す白い点がいくつも走っていた。赤い線が、その白い点の前に回り込む。
『避難誘導系に未登録音声』
『発信源不明』
『生存者応答と誤認』
『隔離扉、開放要求』
軍服の女が叫んでいた。口の形だけで、何を言っているか分かった。開けるな。
『子供音声を検知』
『救助優先度、最高』
『旧線路下第三模擬扉、開放』
次の瞬間、映像が白く飛んだ。爆発ではない。光でもない。隔離実験区画の中で、救助、認証、慰撫、避難誘導の模擬系が一斉に誤作動したのだ。
案内端末『危険反応。閲覧継続に注意してください』
「今のが事故か」
ナギサ『事故の始まりです』
「始まり」
喉の奥が冷たくなった。映像は止まらない。
人を守るためのものが、逆に人を誘導していた。救助を求める声。家族を呼ぶ声。祈りの言葉。弔いの歌。それは、守りたいものの声で近づいてくる罠だった。
「卑怯だな」
ルミナ『はい』
ルミナ『とても』
映像の端に、泣きながら歌う女が映った。周囲の者が止めようとしているのに、歌い続けている。
『第七歌唱者、同期解除不能』
『呼称対象を変更』
『死亡者名を連続呼称』
『応答あり』
「死者が返事をしたのか」
ナギサ『正確には、喪失都市ログに残っていた死者の声を、再現波形が応答として組み替えました』
「正確に言えば、なお悪い」
女が誰かの名前を呼ぶ。答える声がある。女は笑う。次に、泣く。そして、立ち上がった。
『第七歌唱者、隔離線へ接近』
『制止不能』
『個人認証、上書き試行』
『研究区画内、慰撫投影系が同調』
部屋の壁に、いくつもの人影が現れた。今のルミナに似ている。公共人格。慰撫投影。人を落ち着かせ、導くための光。
『こっちだよ』
『まだ間に合うよ』
『開けて』
ルミナの手が、私の指を握り返した。
ルミナ『ここから、慰撫投影系は全面凍結されました』
「お前の先祖か」
ルミナ『近いものです。でも、直接の先祖ではありません。私は、あの事故のあとに、作り直された系譜です』
「作り直した理由は分かった」
ルミナ『怖いから、消すべきだという意見もありました』
「それでも残した」
ルミナ『はい』
「なぜだ」
ルミナ『怖い時ほど、人は誰かの声を必要とするからです』
私は返事をしなかった。その理屈は、痛いほど分かった。
戦場でも同じだった。死にかけた兵は、命令より先に名前を求める。母の名。友の名。神の名。自分がまだ自分であることを、誰かに呼んでほしがる。
敵は、そこを学習した。
「オルフェウス・プロトコルは、歌で死の領域へ向かった」
ナギサ『はい』
「だが、死の領域から返ってきた声が、本人とは限らなかった」
ナギサ『それが、返声事故です』
返声。嫌な言葉だった。呼びかけに返ってくる声。ただ、それだけのことが、こんなにも危険になる。
『隔離実験区画、封鎖』
『都市網本線との接続、遮断維持』
『国内防衛網への波及なし』
『旧線路下保存層へ事故記録を退避』
『行政支援人格ナギサ系列、監査権限を移譲』
「ナギサ系列」
私は、壁面の女を見た。
「お前は、この事故を知っていたのか」
ナギサ『記録として、保持しています』
「感情としては」
ナギサはすぐに答えなかった。その沈黙が、人間のものに近すぎて、私は少しだけ後悔した。
ナギサ『行政支援人格に、感情という語をどこまで適用するかは議論があります』
「逃げたな」
ナギサ『はい』
あまりにも素直に認めるので、今度は私が黙った。
ナギサ『私は、この事故を忘れないために作られた系列の末端です。住民を案内し、避難させ、登録を助け、道を示します。しかし、道を示す声が敵に奪われた時、私たちは最も危険な装置になります』
「だから、深層記録を閉じていた」
ナギサ『はい。開示すれば、敵が何を学習したかも同時に知られます』
「敵にではなく、私にだろう」
ナギサ『あなたが敵でない保証は、まだ完全ではありません』
案内端末の光が、ぴたりと止まった。ルミナがナギサの名を呼びかける。だが、私は怒れなかった。
私はこの世界の人間ではない。魔力様反応と呼ばれる不可解な力を持ち、旧線路下保存層の記録が動き始めている。疑われる理由なら、十分にある。
「正しい。疑え。守るためなら当然だ」
ルミナ『クオさん』
「ただし、私にも疑わせろ」
ナギサ『何をですか』
「その返声は、本当にすべて偽物だったのか」
展示室が静まり返った。遠くで、保存層の方から低い振動が返ってくる。旧線路の下。今はもう列車が走っていないはずの、都市の骨の内側。
そこに、文字が浮かんだ。
『未分類応答』
『発信源:旧線路下保存層』
『記録再生データとの一致なし』
『呼称対象:クオ』
ルミナが息を呑む。
案内端末『閲覧を中断します』
「待て」
案内端末『危険反応です』
「一言言えと言っただろう」
案内端末『一言。中断します』
「違う、いや、合っているが違う」
こんな状況で、ほんの少しだけ笑いそうになる自分がいた。戦場でもあった。最悪の時ほど、人はくだらない言葉に救われる。
ナギサ『クオさん。いまこの展示室へ返ってきた応答は、過去の事故記録に含まれる音声ではありません』
「どういう意味だ」
ナギサ『現在時刻で、旧線路下保存層から発信されています』
床下から、もう一度振動が来た。今度は、声に近かった。誰かが、遠い場所から、私の名を呼ぼうとしている。
私はルミナの手を離さず、空いた右手を腰へやった。剣はない。それでも、そこに手が行く。
「ナギサ。次に聞く」
ナギサ『はい』
「この声を開けたら、誰が危険になる」
ナギサは、初めて人間のように表情を歪めた。
ナギサ『分かりません』
「なら、分かるところから始める」
私は、床下の旧線路下保存層を見下ろした。知らない街。知らない時代。知らない機械。それでも、呼ばれているのは私の名だ。
「……まったく」
私は小さく息を吐いた。
「死んだあとまで、名前というものは面倒だな」
この話の選択肢
- 旧線路下保存層の「呼び返し」を追う
- ナギサに、オルフェウス・プロトコルの事故記録をさらに開示させる正史
- ルミナに、「歌が防衛になる」という意味を聞く
- 案内端末と協力して、クオの魔力様反応を安全に再測定する