転生したら秋葉原だった支援食堂
前の話で選んだ選択肢空腹を認めて、食事ができる場所を案内させる
「腹を満たす」
私はそう答えた。
敵を知る前に飯を食う。そう口にすると情けなく聞こえるが、戦場では腹が減った者から死ぬ。剣が鈍り、判断が遅れ、怒りっぽくなり、余計な夢を見る。食えない兵は勇敢でも長く保たない。
案内端末『妥当な判断です』
案内端末『現在の栄養状態で長時間の心理負荷展示を閲覧することは推奨されません』
「戦史展示は飯を食ってからでも逃げないか」
案内端末『逃げません』
「なら飯だ」
案内端末『近隣の食事提供施設を検索します。条件を指定してください』
「条件?」
案内端末『予算、栄養価、宗教・文化的禁忌、味覚傾向、アレルギー、支払い手段、混雑度、会話許容度、眺望、口コミ評価などです』
「飯とは、もっと簡単なものではないのか」
ルミナ『彼は、返せない借りを作るのが嫌いな人ですね』
「借りは嫌いではない。返せない借りが嫌いだ」
ルミナ『では、返せる形にしましょう』
ルミナは、未登録者向けの最低栄養支援制度を説明した。臨時滞在者、避難者、記録外市民に食事を出し、後日、労働や情報提供や市民登録後の納付で相殺できる制度らしい。
「つまり、ツケか」
ルミナ『非常に古い言い方をすれば、そうです』
「それなら分かる」
借金の理屈は、世界が変わってもあまり変わらないらしい。
ルミナ『近くに支援対応の食堂があります。中央通りから二本奥、旧部品市側の《第七層共同食堂・アキバ炊事場》です』
「炊事場」
その響きに、少し安心した。食堂、炊事場。剣、盾、門、井戸、炉。そういう言葉に近い。人が生きる場所には、必ず火と鍋がある。未来の都市でもそれが残っているなら、少しは信用できる。
案内端末『案内します』
案内端末『ルミナ、同行しますか』
ルミナ『小型投影でなら』
「ついてくるのか」
ルミナ『あなたが食事という概念をどう処理するのか、興味があります』
「食べるだけだ」
ルミナ『本当に?』
「本当に」
ルミナ『あなたは、拍手も慎重に処理しました』
「あれは作法が分からなかったからだ」
ルミナ『食事にも作法があります』
「……そうか」
食事の作法。それはまずい。剣術なら流派差があっても読める。宴席の作法も、貴族の席で恥をかかない程度には覚えている。だが、この世界の飯の作法など知るはずがない。
「案内端末。間違えたら警告しろ。食事作法、支払い、毒、その他だ」
案内端末『毒物検知も行います』
「毒があるのか」
案内端末『通常ありません』
「通常と言うな」
ルミナがまた笑った。公共慰撫人格というものは、笑うことも職務に入っているのかもしれない。だが、先ほどからの笑いは、どうも職務だけではない気がした。
中央通りから一本外れると、街の音が少し変わった。巨大広告の声が遠ざかり、代わりに小さな機械音が増える。透明な箱の中で部品が浮き、店先には古い基板や細い線の束が並ぶ。
道具屋だ。
鍛冶屋ではない。魔道具屋でもない。だが、職人の匂いがする。金属と油と、熱を帯びた石のような匂い。違う世界のはずなのに、こういう場所には同じ気配がある。
「ここは市場か」
案内端末『旧電子部品市です』
「電子部品」
案内端末『機械や情報機器を構成する部材です』
「剣で言えば、鍔や柄や鞘か」
案内端末『近似としては、部品です』
「雑だな」
市場の奥に、湯気が見えた。
この街に来てから、光、金属、透明な道、浮く球、幻影ばかり見てきた。だが、目の前にあるのは湯気だった。白く、揺れ、消えていく。どんな世界でも、熱い汁の上に立つ湯気は同じらしい。
看板にはこうあった。
『第七層共同食堂・アキバ炊事場』 『臨時滞在者支援対応』 『合成食材・天然出汁・旧式調理併用』
「旧式調理。いい響きだ」
案内端末『旧式という評価は、効率が低いことを示す場合もあります』
「効率だけで飯を作るな」
食堂の入口は広かった。中には長い卓がいくつも並び、若い工員らしき者、片腕が機械の女、制服の学生、顔の半分を透明な面で覆った老人、小さな子供を二人連れた男が座っている。壁際では無人の調理機械が何本もの腕を動かし、奥には人間の店員もいた。
鍋があった。大きな鍋だ。私は、その一点でこの場所を信用することにした。
店員『いらっしゃい。支援? 通常? 団体?』
入口近くの台から声がした。人間の女だった。年は、私より少し下か同じくらいに見える。短く切った黒髪。袖をまくった白い上着。腰には道具の入った細い帯。目元に薄い光の板をかけていて、私を見るなり眉を上げた。
店員『……あんた、すごい格好してるね』
「よく言われる」
店員『今日来た観光ロールプレイヤー?』
「違う」
店員『歴史再現?』
「違う」
店員『じゃあ何』
「転生者だ」
女は私を見た。案内端末を見た。ルミナの小型投影を見た。もう一度、私を見た。
店員『ルミナがいるなら、面倒な客ではないか』
ルミナ『面倒ではあります』
「否定しろ」
ルミナ『危険ではありません』
「そこではない」
女は短く笑った。
店員『支援でいい?』
「後で返せるなら」
店員『返せるよ。皿洗いでも、搬入でも、登録後の控除でも。うちは逃げない人間からは取り立てるけど、倒れそうな人間からは取らない』
「よい店だな」
店員『腹が鳴ってる客には、だいたいそう言われる』
「聞こえたのか」
店員『店に入ってきた時点でね』
私は案内端末を睨んだ。
案内端末『私は共有していません』
「今は信じる」
女は台の上に光る板を出した。
店員『名前は?』
私は口を開きかけて、止まった。
この世界で名乗っていない。名乗ることには意味がある。名は、ただの音ではない。誓約にも、標的にも、祈りにもなる。死んだはずの私が、ここで前の名をそのまま使っていいのか。少し迷った。
ルミナ『未登録の来訪者さんです』
店員『長いね』
「私もそう思う」
店員『じゃあ仮名で登録しよう。ミトラ、空欄扱いでいい?』
案内端末『本人未申告のため、仮名登録は可能です』
「ミトラとは?」
店員『この子』
女は自分を親指で指した。
ミトラ『私はミトラ。この炊事場の夜番。あんたの仮名じゃない』
「そうか。よろしく、ミトラ」
ミトラ『はいよろしく、未登録さん』
「やはり長いな」
ミトラ『じゃあ、剣なしさん』
「それは嫌だ」
ミトラ『じゃあ、隊長さん』
私は動きを止めた。ミトラは、しまった、という顔をした。
ミトラ『あ、ごめん。発話ログに隊長って——』
「いや。構わない」
隊長。その呼び名は、遠い戦場から飛んできた矢のように胸へ刺さった。最後に誰かがそう叫んだ。私は返事をしなかった。できなかった。
だが、ここでその名を聞いても、思ったほど苦しくはなかった。むしろ、腹が減っているせいで、悲しむ力も節約されているのかもしれない。
「隊長でいい」
ミトラ『本当に?』
「ああ。名乗るまでの仮名には、ちょうどいい」
ミトラ『じゃあ隊長さん。支援食一名。アレルギー不明、文化禁忌不明、胃腸耐性不明。初回は軽いやつね』
「軽いやつ」
ミトラ『いきなり濃いやつ食べて倒れられても困る』
「私はそれほど弱くない」
ミトラ『この世界の食べ物には慣れてないでしょ』
「それはそうだ」
ミトラ『はい決まり』
ミトラは奥へ声を投げた。
ミトラ『支援一、初回、薄め、でもちゃんと温かく!』
調理機械の腕が動いた。白い器が出る。湯気が立つ。透明な管から汁が注がれ、別の腕が細い麺のようなものを沈める。上に薄い肉らしきもの、青い葉、白い輪切りが載った。
「これは何だ」
ミトラ『ラーメン』
「ラーメン」
ミトラ『旧秋葉原の周辺文化を引き継いだ麺料理。厳密には支援食用に調整した低刺激版だけどね』
「麺か」
ミトラ『麺は分かる?』
「分かる。遠征の乾麺に似ている」
ミトラ『遠征?』
「気にするな」
ミトラ『気になるなあ』
器が差し出された。私は受け取ろうとして、熱さに指を止めた。
案内端末『熱いので注意してください』
「それは見れば分かる」
案内端末『先ほどから、見えていても分からないことが多いようですので』
「失礼だが正しい」
私は器を両手で受け取った。熱い。重い。湯気が顔にかかる。それだけで、思った以上に心が緩んだ。
長い卓の端に座る。箸という細い棒が二本置かれていた。周りを見ると、人々はそれを器用に使って麺を持ち上げている。
私は箸を持った。麺をつまもうとした。逃げた。もう一度。逃げた。三度目で、私は箸を置いた。
「案内端末。この棒は、武器としてならまだ使える」
案内端末『食器です』
「食器としては反抗的だ」
ミトラが吹き出した。
ミトラ『フォーク出す?』
「負けた気がする」
ミトラ『食事は勝負じゃないよ、隊長さん』
「私の世界では、食器の扱いも教養だった」
ミトラ『じゃあ、こっちの教養を今から覚えればいい』
ミトラは箸を一本ずつ持ち、指の形を見せた。
ミトラ『こう。下は支える。上だけ動かす。掴もうとしすぎない。麺を敵だと思わない』
「敵ではないのか」
ミトラ『敵じゃない。味方』
「味方は逃げない」
ミトラ『ここの麺は逃げる』
「厄介な味方だ」
ルミナが、卓の端に小さく投影されたまま、楽しそうに見ていた。
ルミナ『記録していいですか』
「だめだ」
ルミナ『歴史的価値があります』
「異世界人が麺に負ける記録に、どんな歴史的価値がある」
ルミナ『後世の未登録者支援教材に使えます』
「絶対にだめだ」
何度か失敗し、ようやく麺を持ち上げた。私は慎重に口へ運んだ。
熱い。だが、熱さの中に塩気があり、油があり、知らない香りがあった。肉の味とは違う。魚とも違う。野菜の甘さもある。複雑だ。戦場の粥とも、貴族の宴席の濃い料理とも違う。
体が、遅れて思い出したように反応した。腹が減っていた。ただ、それだけのことが、急に現実になった。
「……うまい」
小さく言ったつもりだった。だが、ミトラには聞こえたらしい。
ミトラ『よかった』
ルミナも微笑んだ。
ルミナ『食事をする場所は、倒れないための場所です』
「覚えている」
ルミナ『今、少し倒れにくくなりました』
「大げさだ」
ルミナ『事実です』
私は汁をもう一口飲んだ。熱が喉を通り、胸に落ちる。この世界に来てから、初めて体の内側が温まった気がした。光ではなく、湯気で。祝福ではなく、塩で。女神の奇跡ではなく、誰かが作った飯で。
不意に、最後の戦場を思い出した。転移門の前。黒炎。折れた剣。隊長、と叫んだ誰かの声。あの時、私はもう食べることはないと思っていた。
それなのに、今、私は西暦二三〇〇年の秋葉原で、箸に苦戦しながら麺をすすっている。
「女神」
案内端末『宗教的発話を検出しました』
「今のは放っておけ」
私は心の中だけで続けた。生きろと言ったな。たぶん、こういうことからなのだろう。守ることでも、斬ることでも、死ぬことでもなく。熱いものを食べて、息を吐くことから。
私は器を置き、ミトラを見た。
「この借りは返す」
ミトラ『急に真面目だね』
「飯の借りは重い」
ミトラ『じゃあ、皿を返却口に戻してくれれば今日は半分返済』
「半分も返るのか」
ミトラ『初回支援だからね。残りは、倒れずに明日も生きてたら考えればいい』
「甘いな」
ミトラ『支援食堂だから』
「それも理由になるのか」
ミトラ『なるよ』
ミトラは当たり前のように言った。その当たり前さが、少しだけまぶしかった。
私は再び箸を取り、今度は少しだけうまく麺を持ち上げた。
その時、店の奥の壁面に流れていた静かな表示が切り替わった。
『第七層中央通り:軽度通信干渉、継続監視』 『東側旧部品市:一部通信遅延』 『市民活動に支障なし』
案内端末が微かに高度を上げる。ルミナの小型投影が、笑みを消した。ミトラが壁を見て、眉を寄せる。
ミトラ『またか』
「また?」
私は箸を置いた。今度は、麺は逃げなかった。逃げる必要がなくなったからだ。
ミトラ『最近、増えてるんだよ』
ミトラが低く言った。
ミトラ『中央通りの投影ノイズ。通信遅延。小さい異常ばっかり。警報にはならない。でも、厨房の機械も時々変な動きをする』
ルミナ『ミトラ』
ルミナの声が少し硬くなった。
ルミナ『未確定情報です』
ミトラ『分かってる。でも、隊長さんはもう巻き込まれてるでしょ』
私は二人を見る。歌姫。案内端末。食堂の夜番。そして壁に流れる、警報ではない警告。
飯は温かい。だが、街の奥では何かが冷たく軋んでいる。
「食べ終わってからでいいか」
私は言った。
「それとも、今すぐ動くべきか」
ルミナは少し考えた。ミトラは腕を組んだ。案内端末は、黒い目を点滅させた。
そして、三者がほぼ同時に、違う答えを返した。
ルミナ『食べ終えてください』
ミトラ『先に確認した方がいい』
案内端末『行政支援窓口への登録を推奨します』
「……見事に割れたな」
私は、湯気の立つ器を見下ろした。
腹は、まだ半分しか満ちていない。
だが、この街は、私が一杯食べ終える間すら、静かにしてくれる気はないらしい。
この話の選択肢
- 食べ終えてから、通信干渉についてルミナに詳しく聞く正史
- ミトラの言葉に従い、旧部品市の通信遅延を見に行く
- 案内端末の提案どおり、行政支援窓口で登録を試みる
- まずは皿洗いをして、飯の借りを少しでも返す