転生したら秋葉原だった歌を背にして
前の話で選んだ選択肢ルミナが本来の歌を届けている間に、ひと足先に休んでこれからのことを整理する
中央通りに、ルミナの歌が戻っていた。
それは勝利の凱歌ではなかった。
誰かが手を叩くための歌でも、誰かが泣くための歌でもない。
店先の投影が少し明るさを戻し、通路を歩く人々の肩がほんの少し下がる。部品店の前で口論しかけていた二人が、言葉を飲み込み、別々の方向へ歩いていく。小さな子供が歌の方へ顔を上げ、すぐに親の手を引いて歩き出す。
街は大騒ぎしない。
ルミナの歌があることを、当然のように受け取っている。
それが、かえって重かった。
特別な歌ではない。
日常に戻った歌だ。
だからこそ、守られている。
ルミナ『通常公共慰撫歌唱、復帰運用に入りました』
中央通りの投影柱に映るルミナは、先ほど確認区画で見た作業用の姿よりも、ずっと街に馴染んでいた。
光の輪郭が柔らかく伸び、歌が通りの雑音を押さえつけるのではなく、隙間に流れ込んでいく。
私はしばらくそれを聞いていた。
聞いていたが、ここに立ち続けるべきではないとも思った。
ルミナは今、私のために歌っているわけではない。
街へ歌を届けている。
私は、その邪魔をしたくなかった。
「ルミナ」
ルミナ『はい』
「君は歌を届けてくれ。私は、ひと足先に休む」
ルミナの投影が、ほんの少しだけこちらを向いた。
ルミナ『はい。クオさんも、休んでください』
「そうする」
ミトラ「ほんとに休んでね、隊長さん」
ミトラが、両手を腰に当てて言った。
ミトラ「休むのも仕事だよ」
「この世界では、仕事の範囲が広い」
ミトラ「隊長さんの世界でも、寝ない指揮官は迷惑だったと思うけど」
否定できなかった。
ナギサ『歌糸の事前相談、通常復帰判定、関連ログは私が整理しておきます。共有は休息後で問題ありません』
「助かる」
ナギサ『今は睡眠を優先してください』
「全員が休めと言う」
ミトラ「全員が正しい時もあるんだよ」
私は肩をすくめた。
ルミナは歌を続けている。
ミトラは炊事場の方へ戻り、ナギサの投影はログ整理の表示へと薄く移っていった。
私は、一人で短期滞在区画へ戻るつもりだった。
つもりだった。
「なぜついてくる」
案内端末『保護付き仮登録者の単独移動支援です』
横に、案内端末の小さな投影が当然のように浮いていた。
「道は覚えた」
案内端末『迷子履歴があります』
「一度だけだ」
案内端末『記録上は一度です』
「含みのある言い方をするな」
案内端末『正確な言い方です』
私は歩き出した。
案内端末もついてくる。
「ルミナもミトラもナギサも戻った。なぜ、お前だけ残る」
案内端末『ルミナは通常公共慰撫歌唱中です。ミトラは炊事場復帰。ナギサはログ整理。私は歩行者支援案内端末です』
「名前の通りということか」
案内端末『はい』
「便利な名前だ」
案内端末『ありがとうございます』
「褒めていない」
中央通りから離れるにつれて、ルミナの歌は少しずつ遠くなった。
だが、消えはしない。
直接耳に届く音ではなく、壁や床を通ってくる微かな振動のようになる。透明な梁の奥、古い高架の影、配線の束、投影看板の淡い光。そのすべてに、歌の残り香が薄く染みていた。
私だけに向けられた歌ではない。
それは分かっている。
それでも、今の私には、休めと言われているように聞こえた。
案内端末『歌唱内容に個人宛て成分はありません』
「分かっている」
案内端末『念のため』
「念を押すな」
案内端末『誤認防止です』
「私はそこまで愚かではない」
案内端末『本日、直結という表現を複数回使用しました』
「忘れろ」
案内端末『記録済みです』
私は少しだけ天井を見た。
この端末は、剣より厄介かもしれない。
切れば壊れるが、切るわけにもいかない。
短期滞在区画に戻る頃には、体の重さがはっきりしていた。
疲れている。
今さら気づくことではない。
それでも、戦場では疲れを認めるのが遅れる者から死ぬ。
私は休息室に入り、外縁作業員用の旧式上着を脱いだ。硬い布が肩から離れるだけで、体が少し沈んだ気がした。
靴も脱ぐ。
二三〇〇年の靴は、前世の革靴より軽い。
それでも、今日歩いた分だけ重くなっていた。
剣はない。
鎧もない。
金もない。
だが、服と靴と寝床はある。
それは、昨日の私にはなかったものだ。
案内端末『休息照明に切り替えます』
室内の光が少し落ちる。
壁の一部が淡く光り、簡易寝台の輪郭が浮かんだ。
「まだ寝ない」
案内端末『休息を推奨します』
「分かっている。だが、その前に整理する」
案内端末『整理項目を表示します』
「頼んでいない」
壁に、勝手に項目が並んだ。
生存基盤。
保護区分。
能力未評価。
危険接触履歴。
明日以降の推奨行動。
「仕事が早い」
案内端末『ありがとうございます』
「褒めていない」
案内端末『二回目です』
私は寝台に腰を下ろした。
立ったまま整理するには、足が重すぎる。
「私は今日、何を得た」
案内端末『外縁作業員用旧式装備。保護付き仮登録。返響視。返響操糸。歌糸に関する事前相談項目。ルミナの通常公共慰撫歌唱復帰の確認。複数の注意喚起』
「最後はいらない」
案内端末『必要です』
「物のように並べるな」
案内端末『整理です』
整理。
たしかに、今の私にはそれが必要だった。
頭の中に、剣では斬れないものが多すぎる。
私は指を折った。
「まず、生きるためのこと」
案内端末『食事、寝床、衣類、靴、端末、金銭、登録、緑枠作業実績』
「端末と金がない」
案内端末『はい』
「それを堂々と言われると腹が立つ」
案内端末『事実です』
次の指を折る。
「守るためのこと」
案内端末『返響視。返響操糸。観測補助申告。電子戦訓練子機。保全協力者候補登録。歌糸に関する事前相談』
「まだ、どれも半端だ」
案内端末『はい』
「少しは励ませ」
案内端末『半端であることを認識している点は前進です』
「それは励ましか」
案内端末『はい』
私は判断を保留した。
さらに、三つ目。
「触れ方を間違えてはいけないもの」
壁の表示が、少しだけ暗くなる。
案内端末『公共慰撫投影人格ルミナ。歌糸。第三退避記録庫。返声。黒い歯車の記憶。旧線路下保存層。オルフェウス・プロトコル関連記録』
私は黙った。
項目として並ぶと、冷たく見える。
だが、その中には声がある。
歌がある。
名前を呼び返すものがある。
そして、触れてはいけないと言われた記憶がある。
「私は急ぎすぎているか」
案内端末『はい』
即答だった。
「少しは迷え」
案内端末『休息不足、情報過多、能力未評価、保護区分未安定。急ぎすぎです』
「……そうか」
案内端末『加えて、剣なし、鎧なし、金なしです』
「それは今言う必要があるのか」
案内端末『基礎条件です』
私は反論しようとして、やめた。
基礎条件。
その通りだ。
私は、前世の自分の強さをまだ体の奥に残している。
だが、この世界では、剣も鎧も金も身分もない。
魔法剣士としての腕があっても、都市の扉は腕力では開かない。
登録。
実績。
許可。
監督。
同意。
遮断権。
奇妙な言葉ばかりだ。
しかし、今日一日で少し分かった。
それらは、ただ私を縛る縄ではない。
誰かを物にしないための壁でもある。
なら、壁を敵と決めつけるのは早い。
「明日は、緑枠作業だ」
案内端末『妥当です』
「妥当と言われると弱い」
案内端末『生存戦略としては強い選択です』
私は少し笑った。
「それは、励ましとして受け取る」
案内端末『適切です』
「では、明日は緑枠作業で実績を作る。食事と寝床と登録を固める。返響操糸も歌糸も、急がない」
案内端末『推奨方針と一致します』
「第三退避記録庫も、すぐには戻らない」
案内端末『強く推奨します』
「強く、か」
案内端末『はい』
私は寝台に横になった。
天井は白く、少しだけ曲面を帯びている。
前世の天幕より清潔で、王城の客間より無機質だった。
遠くで、ルミナの歌が続いている。
中央通りの歌。
街の歌。
私だけに向けられたものではない。
だが、今はそれでいい。
誰か一人のためではなく、街のために歌っている声が、結果として私にも届いている。
案内端末『休息を推奨します』
「分かっている」
案内端末『返答だけでは休息になりません』
「うるさい」
案内端末『仕様です』
室内の光が、さらに一段落ちた。
案内端末の投影も、小さくなる。
「お前は消えないのか」
案内端末『保護付き仮登録者の休息状態を低頻度監視します。表示は縮小します』
「見張りか」
案内端末『支援です』
「便利な言葉だ」
案内端末『ありがとうございます』
「褒めていない」
案内端末『三回目です』
私は目を閉じた。
今日、街に歌が戻った。
明日は、私がこの街で動ける形を作る。
剣ではなく、登録と実績で。
眠りに落ちる直前、遠くの歌が一瞬だけ白く感じられた。
返響視かもしれない。
疲れが見せた錯覚かもしれない。
案内端末は、何も警告しなかった。
なら、今はそれでいい。
私は、その白さを追わずに眠った。
この話の選択肢
- 翌朝、保全協力者候補登録の緑枠作業を選びに行く
- 案内端末に、クオが今できる仕事を危険度順に並べさせる正史
- ミトラの炊事場を手伝い、まず生活実績を作る
- 旧部品市外縁の通信遅延について、通常歌唱復帰後の変化を確認する