転生したら秋葉原だった危険度順の朝
前の話で選んだ選択肢案内端末に、クオが今できる仕事を危険度順に並べさせる
目を開けると、最初に聞こえたのは歌ではなかった。
低い機械音。
壁の奥を流れる風の音。
それから、遠くで薄く揺れているルミナの歌。
中央通りからここまでは距離がある。歌はもう旋律というより、街の体温のように壁と床の向こうを通っていた。
私はしばらく天井を見ていた。
白い。
清潔だ。
清潔すぎて、戦場の朝ではないと分かる。
だが、体はすぐには納得しない。
寝台から起き上がる前に、まず剣を探そうとして、何もない右手を見た。
「……ないな」
案内端末『はい。剣はありません』
「朝一番に現実を突きつけるな」
案内端末『現実確認は休息後に有効です』
「嫌な有効性だ」
枕元の小さな投影が、当然のように明るさを増した。
案内端末は、昨日より少しだけ小さく表示されている。休息状態監視の名残なのか、声も控えめだった。
案内端末『睡眠は成立しました。ただし理想量には不足しています』
「死んでいないなら十分だ」
案内端末『その基準は推奨されません』
「戦場ではよく使われる」
案内端末『ここは戦場ではありません』
私は寝台の縁に腰を下ろした。
靴を履く。
旧式の作業靴は、昨日より足に馴染んでいた。革ではない。布でもない。だが、歩くためのものだということは分かる。
歩ける。
なら、次は働けるかだ。
「案内端末」
案内端末『はい』
「今の私にできる仕事を、危険度順に並べろ」
投影が一瞬止まった。
案内端末『危険度昇順ですか。降順ですか』
「危険なものからだ」
案内端末『保護付き仮登録者に高危険作業を優先提示することは推奨されません』
「選ぶとは言っていない。先に危険を見たい」
案内端末『理由を確認します』
「私が危険なものへ先に突っ込む癖があるからだ」
案内端末『自己認識があります』
「褒めているのか」
案内端末『警戒しています』
「正直でよろしい」
壁の一部が明るくなった。
昨日は休息照明だったそこに、細い文字と色分けされた枠が浮かぶ。
保護付き仮登録者クオ。
現在実行可能な作業候補。
危険度表示。
緑、薄緑、黄、橙、赤。
最後に、黒。
「黒があるぞ」
案内端末『仕事ではありません』
「仕事一覧に出すな」
案内端末『あなたが見ている方向を訂正するための表示です』
私は黙った。
黒い枠には、三つ並んでいた。
第三退避記録庫再訪。
歌糸の実装試行。
返響操糸による実機接続。
すべて、横に赤い斜線が入っている。
案内端末『現時点では実行不可。危険度測定対象外。作業ではありません』
「強いな」
案内端末『強く表示する必要があります』
「私は、そこまで信用されていないのか」
案内端末『信用の問題ではありません。疲労、焦燥、未評価能力、保護区分未安定、前世由来の戦場判断が同時に存在しています』
「最後の言い方がひどい」
案内端末『正確です』
否定はできない。
黒枠の文字を見た瞬間、私は確かに少しだけそちらへ意識を向けた。
第三退避記録庫。
歌糸。
返響操糸。
役に立つかもしれない力。
危険かもしれない声。
守れるかもしれない道。
どれも、私の手を引く。
そして案内端末は、それを仕事とは呼ばなかった。
「続けろ」
案内端末『危険度を下げて表示します』
「危険なものからと言った」
案内端末『黒枠を確認した時点で目的は達成されています。以後は実行可能作業を安全側から提示します』
「勝手に作戦を変えるな」
案内端末『支援です』
「便利な言葉だ」
案内端末『四回目です』
私は少し笑った。
壁の表示が切り替わる。
最上段は緑だった。
案内端末『危険度一。第七層共同食堂・アキバ炊事場補助。食器洗浄、食材搬送、床面清掃、低温保管庫の整理』
「炊事場か」
案内端末『主危険要素は熱湯、刃物、濡れ床、人間関係です』
「最後だけ別種ではないか」
案内端末『事故率に影響します』
「人間関係は刃物より危険か」
案内端末『場合によります』
ミトラの顔が浮かんだ。
あの炊事場なら、たしかに人間関係の危険は低い気がする。だが、私が余計な軍隊式の片付けを始めれば、怒られる可能性はある。
次の枠は、少しだけ色が濃い。
案内端末『危険度二。再整備倉庫内の旧式装備整理。旧作業服、靴、非接続工具、補修材の棚卸補助』
「昨日の倉庫だな」
案内端末『はい。主危険要素は重量物、工具誤認、認証外機器への接触、粉塵です』
「光の刃は」
案内端末『触れません』
「言う前に封じるな」
案内端末『昨日、視線反応がありました』
「見るだけなら罪ではない」
案内端末『事故の前段階です』
まったく、この端末は容赦がない。
だが、容赦がないということは、少なくとも甘い罠ではないということでもある。
黄色の枠が浮いた。
案内端末『危険度三。旧秋葉原駅前広場の案内札清掃、および保存看板の劣化確認』
「駅前広場?」
案内端末『旧秋葉原駅の地上導線を基盤にした保存広場です。現在は第七層の下部展示導線と生活導線の境目です』
壁に小さな地図が出た。
古い線路の影。
高架の骨。
電気街と書かれた保存看板。
その横を、二三〇〇年の透明な歩廊と投影広告が覆っている。
古い街の骨に、新しい街が重なっている。
私は思わず身を乗り出した。
「ここは、今も使われているのか」
案内端末『はい。完全な遺跡ではありません。保存され、補強され、再解釈され、生活導線に組み込まれています』
「死体ではなく、古傷のある身体か」
案内端末『比喩としては近いです』
その言い方は、少し好きだった。
前世にも、古い城壁を市場の壁として使う街があった。戦の跡に布を張り、店を開き、子供が走る。古い石は死んでいない。ただ、役目を変える。
秋葉原も、そういう街なのかもしれない。
案内端末『主危険要素は段差、保存構造物の落下物、通行人との接触、古い看板部材の鋭利面です』
「戦場ではないが、油断すると怪我をする」
案内端末『はい』
次は橙に近い黄色だった。
案内端末『危険度四。中央通り通常公共慰撫歌唱復帰後の通行観測補助』
「ルミナの歌の近くか」
案内端末『歌唱そのものの評価ではありません。通行量、滞留、投影柱周辺の人流、軽度通信干渉の残留確認です』
「私は見ているだけか」
案内端末『原則として、見て、記録し、報告するだけです』
「それは簡単そうだ」
案内端末『あなたの場合、簡単ではありません』
「なぜだ」
案内端末『公共慰撫投影人格ルミナへの感情反応、返響視の主観混入、異常発生時に前へ出る傾向があります』
「最後は否定できない」
案内端末『否定されると困ります』
私は額に手を当てた。
ルミナの歌を守りたい。
それは本心だ。
だが、守りたいと思った瞬間、私は彼女の仕事を邪魔するかもしれない。
守るとは、前に出ることだけではない。
この世界は、昨日から何度も同じことを私に教えようとしている。
橙色の枠が出た。
案内端末『危険度五。旧部品市外縁の通信タグ点検。監督者同行必須。単独行動不可』
「ようやく、それらしくなってきた」
案内端末『その反応が危険要素です』
「まだ何もしていない」
案内端末『していない段階で検出できる危険は、良い危険です』
「良い危険とは何だ」
案内端末『事故前に止められる危険です』
旧部品市外縁。
昨日から何度も出てくる名だ。
通信遅延。
局所認証。
旧式機器。
電子戦の影。
そこには、剣で斬れる敵はいないのだろう。
だが、敵がいないから安全とは限らない。
案内端末『主危険要素は認証遅延、案内遅延、未登録機器、古い配線束、干渉発生時の退避失敗です』
「退避失敗か」
案内端末『はい。戦闘ではなく、戻れなくなる危険です』
私はその言葉を、少し重く受け止めた。
戻れなくなる。
それは、死ぬことだけではない。
行く前の自分に戻れなくなることも含むのだろう。
最後の橙枠は、赤に近かった。
案内端末『危険度六。訓練表示限定の返響視ログ採取。監督者、遮断権、即時停止条件、記録隔離が必須』
「実機接続ではないのか」
案内端末『違います。訓練表示だけです』
「それでも六か」
案内端末『はい』
「理由は」
案内端末『能力過負荷、主観誤認、記録汚染、過剰期待、役に立ちたい欲』
「最後の二つは、作業ではなく私の問題ではないか」
案内端末『はい』
即答だった。
「少しは迷え」
案内端末『危険度順の表示です』
「お前、私を危険物として扱っていないか」
案内端末『現時点では、未評価能力を持つ保護付き仮登録者です』
「危険物より丁寧な言い方だな」
案内端末『丁寧に扱う必要があります』
その言葉に、私は少しだけ黙った。
丁寧に扱う。
能力を。
記録を。
ルミナを。
街を。
そして、私自身を。
前世では、役に立てる者から前に出た。
剣を持てる者が壁になり、魔法を使える者が穴を埋めた。私はそれを当然だと思っていたし、それで仲間を逃がした。
だが、この世界では、役に立つかもしれない力ほど、急いで使ってはいけないことがある。
使う前に、誰の権利を踏むのか。
止める方法はあるのか。
間違えた時、誰が痛むのか。
剣を抜く前に、鞘の形を確かめるようなものだ。
「案内端末」
案内端末『はい』
「危険度順とは、突っ込む順番ではないのだな」
案内端末『はい。避ける順番、備える順番、許可を取る順番です』
「面倒だ」
案内端末『生存に有効です』
「便利な言葉だ」
案内端末『五回目です』
私は笑って、立ち上がった。
壁の一覧は消えない。
黒、赤、橙、黄、緑。
それは敵の強さの表ではなかった。
私の焦りを、色にしたものだった。
なら、今日選ぶべきなのは、最も危険な場所ではない。
最も役に立ちそうな場所でもない。
今の私が、壊さずに終えられる仕事だ。
剣のない朝。
鎧のない街。
金のない私。
それでも、仕事の候補はある。
私は壁の緑と黄色の間を見比べた。
「では、最初の仕事を選ぶ」
案内端末『推奨します』
「ただし、選ぶのは私だ」
案内端末『はい。選択権はあなたにあります』
その返答は、少しだけ重かった。
私はうなずいた。
この世界で生きるために、まずは一つ。
危険を選ぶのではなく、仕事を選ぶ。
この話の選択肢
- 危険度最低の炊事場補助を選び、ミトラのもとで生活実績を積む正史
- 旧秋葉原駅前広場の案内札清掃を選び、古い高架と電気街の名残を見に行く
- 監督者同行を条件に、旧部品市外縁の通信タグ点検を申請する
- 訓練表示だけに限定して、返響視ログ採取の危険を先に確認する