転生したら秋葉原だった歩くための鎧
前の話で選んだ選択肢再整備倉庫へ戻り、古い作業服と靴を今度こそ試す
再整備倉庫の扉は、先ほどよりも重く見えた。
いや、扉そのものは変わっていない。古い鋼材を継ぎ合わせた灰色の板に、薄い光の認証線が走っているだけだ。変わったのは、私の足取りだ。
お帰りなさいませ。
行ってらっしゃいませ。
あの軽い言葉を受けたあとで倉庫へ戻ると、不思議とここもどこかの砦の裏口に見えた。
ミトラ「今度こそ入るよ、隊長さん」
「ああ。靴は逃げるらしいからな」
案内端末『在庫移動の可能性を、逃亡と表現するのは不正確です』
「先にお前が言った」
ルミナ『でも、少し急いだ方がいいかもしれませんね』
扉の横にある認証板へ、ミトラが手をかざした。
低い音が鳴る。錠が開く。扉の内側から、鉄と油と乾いた布の匂いが流れてきた。
懐かしい、と感じてしまった。
未来の秋葉原に来てから、光る看板、投影、透明な案内板、歌う都市、声を返す保存層ばかり見てきた。だが、この匂いは違う。戦場の荷車置き場、鍛冶場の裏、遠征前の補給天幕。世界は違っても、壊れたものを直す場所の匂いは似ている。
私は、少しだけ息を吸った。
「ここは落ち着く」
ミトラ「え、ここで?」
案内端末『一般的には、清潔な休息室の方が落ち着くと評価されます』
「休息室は落ち着かなかった。何もかも白く、柔らかく、壊してはいけないものに見えた」
ルミナ『ここは壊してもいい場所なんですか?』
「壊しても直す場所だ」
ミトラ「その言い方、うちの古い整備班が聞いたら喜ぶと思う」
倉庫の中は広かった。
天井は低くないが、光は控えめだった。棚が何列も並び、折り畳まれた布、古い外装板、工具箱、配線束、膝当て、手袋、靴底だけの箱などが区分けされている。床には黄色い線が引かれ、旧秋葉原駅の高架を支えていたという鋼材の断片が、補強材として壁に再利用されていた。
壁の一部には、古い看板がはめ込まれている。
文字は読めた。女神の祝福のおかげだ。
電気街口。
その下に、小さく補足投影が出ていた。
案内表示『旧秋葉原駅周辺遺構材。保存層登録済。実用補強への転用許可あり』
「駅の名が、倉庫の骨になっているのか」
ミトラ「第七層はそういうの多いよ。残せるものは展示に、使えるものは構造材に、危ないものは封じて、でも名前だけはなるべく捨てない」
「名を捨てないのは良い」
案内端末『名前の保持は、場所認識と避難誘導にも有効です』
「急に情緒のない補足をするな」
ルミナ『端末さんらしいです』
ミトラは棚の間を迷わず進んだ。
炊事場では眠そうで、朝カフェでは突っ込み役だった彼女が、ここでは少し違って見えた。どの棚に何があるか知っている足取りだ。
ミトラ「外縁作業員用の旧式装備はこっち。今の標準装備は高性能だけど、未登録者には使いにくいんだよね。医療連携、体温制御、位置認証、作業権限、全部繋がってるから」
「便利に聞こえるが」
案内端末『便利です。ただし、クオの登録状態では一部機能が警告を出し続ける可能性があります』
「服に叱られるのか」
ミトラ「叱るっていうか、ずっと“権限がありません”“脈拍が規格外です”“この歩き方は想定外です”って言われる」
「脱ぐ」
ルミナ『まだ着ていません』
「着る前から嫌だ」
ミトラは笑いながら、奥の棚から大きな箱を引き出した。
箱の蓋には、擦れた文字でこう書かれていた。
外縁作業員用・旧式防護作業服。
貸与可。要補修確認。
その下に、手書きのような古い文字で小さく追記がある。
「まだ使える。捨てるな」
私は、その一文に目を止めた。
「これは誰が書いた」
ミトラ「分かんない。何十年か前の整備班じゃないかな。ここの物、そういう落書きみたいな引き継ぎが残ってるんだよ」
「落書きではない」
私は蓋に触れた。
まだ使える。捨てるな。
戦場で、その言葉を何度聞いただろう。欠けた盾。柄を巻き直した剣。穴を塞いだ外套。戻らなかった兵の靴。まだ使えるものを捨てないのは、貧しさだけではない。そこに手を入れた者がいるからだ。
蓋を開けると、畳まれた作業服が現れた。
色はくすんだ灰色。ところどころに補修跡があり、肩と肘、膝には厚い布と薄い板が重ねられている。鎧ではない。だが、ただの服でもない。
私は布を持ち上げた。
重い。
けれど、嫌な重さではなかった。
「これは、鎧だな」
ミトラ「作業服だよ」
「肘、膝、肩を守る。腹の前に厚みがある。縫い目は急所を避けている。鎧だ」
案内端末『分類上は防護作業服です』
「防護する服なら鎧ではないか」
ミトラ「まあ、隊長さんの世界基準なら鎧かも」
ルミナ『歩くための鎧、ですね』
歩くための鎧。
その言葉は、不思議に胸に落ちた。
戦うための鎧ではない。誰かを倒すためでも、攻撃を受けるためでもない。瓦礫の間を歩き、荷を運び、機械の腹に潜り、帰ってくるための鎧。
私は作業服を広げ、袖を通した。
硬い。
肩が少し引っかかる。胸元の留め具は見慣れない形で、私は一度、逆に引いた。
案内端末『そこは押す構造です』
「押すなら、押す形をしておけ」
ミトラ「してるよ」
ルミナ『クオさん、留め具と戦っています』
「敵ではないが、味方とも言い難い」
ようやく胸元が閉じた。
布の内側が体に馴染むまで、数呼吸かかった。前世の服よりも動きやすい。袖の内側に細い補強があり、腕を上げても突っ張りすぎない。腰には工具を吊るす輪がある。背中は少し硬いが、荷を背負うためだろう。
私は軽く膝を曲げた。
曲がる。
跳ぶほどではない。だが、走れる。転べる。起き上がれる。
「悪くない」
ミトラ「かなり似合ってるよ。異世界の人っていうより、外縁の現場にいそう」
案内端末『外見上の違和感は二十七パーセント低下しました』
「まだ高いな」
案内端末『剣と鎧の世界から来た本人であるため、完全な低下は困難です』
「それは私のせいか」
ルミナ『でも、少し秋葉原の人みたいです』
私は言葉を失った。
秋葉原の人。
まだ私は、この街の者ではない。保護付き仮登録者で、金もなく、剣もなく、女神に投げ込まれた異物だ。
それでも、袖を通した古い作業服は、私を少しだけこの街の形に近づけた。
服とは、ただ体を隠すものではないのだな。
所属を借りるものでもある。
ミトラ「次、靴ね」
箱の奥から、ミトラが靴を取り出した。
厚い底。くるぶしまで覆う形。つま先には硬い芯が入っている。革に似た素材だが、革ではない。縫い目は太く、何度も補修されていた。
私は片方を持ち上げ、重さを確かめた。
「これは良い」
ミトラ「まだ履いてないのに?」
「靴は重さで分かる。軽すぎる靴は、地面を信用しすぎている」
案内端末『現代の高性能靴は軽量でも十分な防護性能を持ちます』
「その高性能靴は私を叱るのだろう」
案内端末『通知は出ます』
「なら、こちらだ」
私は古い靴に足を入れた。
少しきつい。だが、紐を緩めれば入った。足裏に硬い感触がある。床の冷たさが直接来ない。つま先を床に打ちつけると、鈍い音が返った。
守られている。
その感覚は、思った以上に大きかった。
昨日から私は、未来都市の床の上を、前世の靴で歩いていた。石畳でも土でもない、光を通す床、震える通路、動く段差、警告を喋る門。そのすべてが、足裏から私を異物だと告げていた。
だが、この靴は違った。
床との間に、古い人間の工夫が一枚入る。
「歩ける」
ミトラ「そりゃ靴だからね」
「違う。これは、ここを歩いていいという許可に近い」
ミトラは少しだけ黙った。
案内端末も、珍しくすぐには訂正しなかった。
ルミナ『お帰りなさいませ、の次ですね』
「何がだ」
ルミナ『座っていい場所をもらったら、次は歩いていい足をもらうんです』
私は自分の足元を見た。
灰色の作業服。古い靴。まだ剣はない。だが、昨日よりはずっとましだ。
戦場に立つ装備ではない。
生きて、働いて、帰ってくるための装備だ。
案内端末『試歩を推奨します。倉庫内黄色線に沿って十メートル移動してください』
「試歩にも命令があるのか」
ミトラ「安全確認だよ。ほら、歩いて」
私は黄色い線に沿って歩いた。
一歩目。重い。
二歩目。悪くない。
三歩目。床が鳴る。
四歩目で、棚の上から小さな部品箱が滑りかけた。私は反射的に腕を伸ばし、落ちる前に受け止めた。
箱の中で、金属片が鳴った。
案内端末『危険行動です。未確認重量物を素手で受け止めることは推奨されません』
「落ちる方が危険だ」
ミトラ「助かったけど、今の反応速度なに?」
ルミナ『クオさんです』
「説明になっているのか」
ルミナ『なっています』
箱を棚へ戻した時、指先にかすかな震えを感じた。
返響視ほど強くはない。だが、金属片の間に、黒ではなく、古い白い擦れ跡のようなものが見えた気がした。
誰かが何度も使い、直し、戻した道具の気配。
危険な声ではない。
ただ、使われ続けたものの残り香だ。
「……この倉庫は、よく生き残ったな」
ミトラ「生き残ったっていうか、残したんだと思う。新しいものだけだと、認証が止まった時に詰むから。古い工具、古い服、古い靴。繋がらなくても使えるものは、最後の保険になる」
案内端末『非接続装備は都市網障害時の冗長系として一定の価値があります』
「つまり、古いものは弱いのではなく、黙って働くのか」
ミトラ「うん。言い方いいね、それ」
黙って働く。
歌えないルミナ。喋りすぎる端末。迎えるコハル。補修された作業服。重い靴。
この街は、光るものだけで出来ているのではない。
名前を残した駅の骨、電気街の古い看板、部品店の棚、油の匂い、捨てるなと書いた誰かの手。
私はようやく、秋葉原の足元を履いた気がした。
「ミトラ。この装備は借りられるのか」
ミトラ「借りられる。炊事場の片付けと、後日の保全協力で相殺できる範囲。ナギサに記録だけ通す必要はあるけど」
ナギサ『記録を受け付けました。外縁作業員用旧式装備、保護付き仮登録者クオへの一時貸与として処理可能です。ただし、正式な防護任務への使用は不可。制限区域への移動には別途許可が必要です』
「まだ何も言っていない」
ナギサ『言う前に制限します』
案内端末『妥当です』
ミトラ「隊長さん、すぐ危ないところ行きそうだしね」
「信用がない」
ルミナ『信用されているから、止められているんだと思います』
そう言われると、少し返しに困った。
私は作業服の袖口を締め直し、靴紐をもう一度結んだ。前世の結び方と違うが、ミトラが教えた通りにすると、緩みにくい形になった。
腰の輪には、まだ工具も剣もない。
だが、手ぶらで歩いている時とは違う。
私はこの街で、ただ運ばれる客ではなくなり始めている。皿を洗い、言葉を学び、古い装備を借り、歩く準備をしている。
それは戦いの準備より、ずっと地味だった。
けれど、女神が言った「生きろ」という命令には、こちらの方が近いのかもしれない。
「ミトラ」
ミトラ「なに?」
「この靴で、私はどこまで歩ける」
ミトラ「第七層一般と旧部品市外縁までなら、登録上は大丈夫。足慣らしなら旧部品市の端を一周。ちゃんと申請すれば、外縁作業の見学もできるかも」
案内端末『第三退避記録庫方面への単独移動は不可です』
「だから、まだ言っていない」
ナギサ『言う前に二重に制限します』
ルミナ『クオさん、顔に出ています』
「顔とは不便だな」
ミトラ「便利だよ。止めやすいから」
私は倉庫の出口へ目を向けた。
扉の向こうには、中央通りの光がある。旧高架の影があり、電気街の名残があり、部品店の朝が始まっている。さっきまで私は、その全てを異世界の光景として見ていた。
今は、少し違う。
歩ける。
まだ、この街の全てを理解したわけではない。敵も、返声も、黒い歯車も、研究倫理記録も残っている。だが、それらへ向かう前に、私はまず一歩を得た。
私は古い靴のつま先を床に当て、音を確かめた。
鈍く、頼もしい音だった。
「行こう」
ミトラ「どこへ?」
私は少し考えた。
戦場なら、危険の方向へ行く。
だが今は、靴を得たばかりだ。
歩くための鎧を着た者が、最初にするべきことは、たぶん走ることではない。
「まずは、転ばずに歩ける場所へ」
案内端末『珍しく妥当です』
「珍しくとは何だ」
ルミナ『でも、いいと思います』
ナギサ『旧部品市外縁の短距離試歩を推奨します。通信遅延区域の手前までなら、安全管理上も許容範囲です』
ミトラ「じゃあ、靴ならしだね。隊長さん、ようこそ秋葉原の足元へ」
私は頷き、倉庫の扉へ向かった。
背中の作業服が少し硬い。靴は重い。だが、その重さは私を沈ませない。
この街の地面に、私を留めてくれる重さだった。
この話の選択肢
- 旧部品市外縁で靴ならしをし、通信遅延区域の手前まで歩く
- ミトラに、古い作業服と靴を使っていた外縁作業員たちの話を聞く
- 案内端末とナギサに、この旧式装備で第三退避記録庫へ再訪できる条件を確認させる
- 倉庫内の工具棚を見て、剣の代わりに扱える道具がないか探す正史