転生したら秋葉原だった待機時間
前の話で選んだ選択肢中央通りへ寄り、仕事の報告も兼ねてルミナに会いに行く
中央通りへ寄る。
私は、壁面表示のその候補を選んだ。
旧秋葉原駅前広場でも、再整備倉庫でも、旧部品市外縁でもない。
仕事の報告も兼ねて、ルミナに会いに行く。
案内端末『目的を確認します。中央通り通常導線確認。作業報告。公共慰撫投影人格ルミナへの面会希望』
「最後だけ、妙に私情が混ざっているな」
案内端末『事実です』
ミトラ「事実だね」
ミトラは炊事場の入口で、私の手首に巻かれた冷却布を見た。
ミトラ「報告だけで済ませるんじゃないよ、隊長さん」
「どういう意味だ」
ミトラ「分かってないなら、なおさら行ってきな」
私は少しだけ考えた。
聞き返しても、ミトラは答えない顔をしている。
「……分かった」
ミトラ「うん。行ってらっしゃい」
行ってらっしゃい。
その言葉を背に受けて、私はアキバ炊事場を出た。
炊事場の湯気は、旧部品市側の細い導線へ流れていた。
金属を磨いた匂い、古い樹脂の匂い、支援食の出汁の匂いが混ざる。
透明な歩廊の下には、保存された古い看板の骨があった。
読める文字もあれば、摩耗して影だけになった文字もある。
その上を、二三〇〇年の案内表示が静かに滑っていく。
古い街の骨に、新しい街の光が重なっている。
この一週間、私は炊事場で床を見ていた。
器を見ていた。
列を見ていた。
誰かが倒れないように、誰かが食べ損ねないように、目の高さを下げていた。
そのせいか、中央通りへ向かう道も、前より違って見えた。
人の流れには、速度がある。
迷う者の足は少し遅い。
支援案内を見慣れた者は、表示が出る前に曲がる。
子供を連れた者は、無意識に通路の内側を歩く。
義体の足を持つ者は、床材の切り替わりでほんの少しだけ歩幅を変える。
私は、それらを見ながら歩いた。
案内端末『中央通り通常導線確認として、観察行動を記録しています』
「私はただ歩いているだけだ」
案内端末『歩きながら観察しています』
「否定はできない」
案内端末『炊事場補助七日間の影響と推定します』
「床を見すぎるようになった」
案内端末『転倒予防の観点では望ましい変化です』
「戦場で敵の足元を見る癖とは違うな」
案内端末『目的が異なります』
「ああ。倒すためではなく、倒れさせないためだ」
口にしてから、少し遅れて胸に落ちた。
私は、本当にこの街で別の歩き方を覚え始めている。
中央通りの光が近づいた。
旧部品市側の湿った熱は薄れ、かわりに投影広告と音楽と、人の声が広がる。
高架の骨の向こうに、透明な歩廊が何層も重なっていた。
古い電気街の看板は、今も保存層の一部として残され、その上に新しい案内光が重なっている。
街は、古いものを消していない。
ただ、その上に生き続けている。
中央通りに着いた時、ルミナは歌っていた。
巨大な投影が、通り全体を包んでいる。
青とも銀ともつかない髪が、光の文字列のように揺れる。
歌声は、大きいのに耳を刺さない。
人々は立ち止まる者もいれば、そのまま歩く者もいた。
作業服の男が、受け取り箱を抱えたまま少しだけ空を見上げる。
子供が母親の手を引いて、投影柱の近くへ寄ろうとする。
義体の腕を持つ女が、通話を切らずに、目だけを細める。
店の前に立つ若い従業員が、歌の終わりに合わせて表示看板の明度を少し落とした。
彼女の歌は、誰か一人のものではなかった。
街のものだった。
私は、その輪の外で足を止めた。
会いに来た。
だが、ルミナは今、街へ歌っている。
私が来たからといって、歌を止めるべきではない。
炊事場で学んだことと同じだ。
誰かを支える仕事は、目の前の一人だけを見ていればよいものではない。
「待つ」
案内端末『はい』
「報告は、歌が終わってからだ」
案内端末『適切です』
私は腕を組みかけて、やめた。
手首の冷却布が目に入ったからだ。
ミトラの指先が、布の端を押さえた感触を思い出す。
傷になる前に止める。
倒れる前に座らせる。
飢える前に食べさせる。
壊れる前に、支える。
その延長に、この歌もあるのだろう。
歌が終わるまでの間、私は報告内容を頭の中で整えた。
炊事場補助、七日間継続。
食器破損なし。
熱傷事故なし。
床面転倒事故なし。
支援食提供遅延なし。
許可前行動の抑制、改善。
観察報告の精度、向上。
次段階の低危険作業候補、提示済み。
整った報告だ。
だが、何かが足りない。
このまま言えば、案内端末には通じる。
ナギサにも通じるだろう。
だが、ルミナに会いに来た理由としては、足りない。
歌が終わった。
中央通りに拍手が広がる。
ルミナは定時広報を告げた。
北太平洋防衛線における大規模交戦の公式発表なし。
秋葉原都市圏の警戒レベル、三。
通常活動継続。
その言葉を聞いて、人々の肩がほんの少し下がる。
私はもう、その変化を見落とさなかった。
安堵も、支援の一部なのだ。
巨大な投影が薄れ、通りの端の投影柱に光が集まった。
掌ほどのルミナが、静かに現れる。
以前と同じ小さな姿。
けれど、今日の私は、前より少しだけ、その小ささの意味を理解している。
街全体へ歌うための巨大な姿と、一人の話を聞くための小さな姿。
どちらも、ルミナなのだ。
ルミナ『クオさん』
「ああ」
ルミナ『炊事場補助、七日間の継続記録を確認しました』
「もう知っているのか」
ルミナ『公共支援系に共有される概要だけです。詳細な作業内容までは見ていません』
「なら、報告に来た」
ルミナ『はい。聞かせてください』
ルミナは急かさなかった。
責めもしなかった。
ただ、通りの喧騒の中に、小さな待機場所を作るようにそこにいた。
私は、用意していた報告を口にした。
「炊事場補助、七日間継続。食器破損なし。熱傷事故なし。床面転倒事故なし。支援食提供遅延なし。許可前行動の抑制、改善。観察報告の精度、向上」
案内端末『作業報告として適切です』
ルミナ『はい。とても整っています』
「だが、これだけでは足りない」
ルミナ『何が足りないと感じますか』
その問いは、答えを誘導しなかった。
私は少しだけ沈黙した。
中央通りの光が、ルミナの投影の輪郭を透かしている。
彼女は街へ歌った直後なのに、疲れた様子は見せない。
疲れるのかどうかも、私はまだ知らない。
「私は、支援食が施しではないと知った」
ルミナ『はい』
「炊事場は、誰かを英雄にする場所ではない。誰かを明日まで持たせる場所だった。名を聞かずに守ることもある。事情を暴かず、先に食べさせることもある。認証が壊れても、敵性判定が出ていなければ、最低限安全なものを出す」
言いながら、私は自分の声が、最初の報告よりゆっくりになっていることに気づいた。
「私は前世で、名を聞き、所属を聞き、危険かどうかを判じてから守っていた。だが、この街には、名を聞く前に守る場所がある」
ルミナ『アキバ炊事場は、そういう場所です』
「そして、傷になる前に止める場所でもあった」
私は手首の布を少しだけ見せた。
「この程度、傷ではないと思った。だが、ミトラは傷になる前に止めると言った」
ルミナ『ミトラさんらしい判断です』
「君にも、分かるのか」
ルミナ『はい。ミトラさんは、止めるべきところで止める人です』
ルミナは冷却布を見て、少しだけ視線を細めた。
投影の視線に、物理的な温度はない。
それでも、私は見られていると感じた。
ルミナ『痛みはありますか』
「ない」
案内端末『軽度の皮膚刺激はあります』
「お前は黙っていろ」
案内端末『支援中です』
ルミナ『支援は、時々うるさいですね』
案内端末『不正確です』
「いや、正確だ」
ルミナの口元が、わずかに緩んだ。
それは投影全体へ向ける微笑ではなかった。
小さな柱の上で、私にだけ見える程度の変化だった。
私は息を吸った。
ここからが、報告ではなくなる。
「それと、もう一つある」
ルミナ『はい』
「会いに来るのが遅くなった」
ルミナは、すぐには答えなかった。
沈黙は短かった。
だが、ただの処理待ちには見えなかった。
ルミナ『はい』
「怒っているか」
ルミナ『怒る、という処理ではありません』
「では、何だ」
ルミナ『待機時間が、少し長く感じられました』
私は、その言い方をすぐには理解できなかった。
待機時間。
長く感じる。
それは、端末の返答のようでいて、端末よりずっと柔らかかった。
「ミトラに、ルミナは寂しがると言われた」
ルミナ『ミトラさんは、時々とても正確です』
「では、寂しかったのか」
ルミナは私を見た。
中央通りを流れる人々の足音が、少し遠くなる。
ルミナ『その単語を使うなら、近いと思います』
私は、胸の奥が静かに沈むのを感じた。
責められたわけではない。
泣かれたわけでもない。
それでも、その言葉は深く入ってきた。
「すまない」
ルミナ『謝罪を受理します』
「受理されると、かえって重いな」
ルミナ『では、訂正します。聞きました』
「その方がいい」
ルミナ『はい。聞きました』
ルミナは、小さく頷いた。
ルミナ『クオさんは、目標へ近づくために、生活実績を積んでいました』
「ああ」
ルミナ『歌糸も、返響操糸も、第三退避記録庫も、順番が必要です』
「そう考えていた」
ルミナ『その考えは、間違っていません』
「だが、足りなかった」
ルミナ『はい』
ルミナは、はっきりと言った。
その声に責める色はない。
ただ、正確だった。
ルミナ『歌糸は、接続ではなく観測です。観測には、信頼が必要です。信頼には、記録だけでは足りません』
「会いに来ることも、必要か」
ルミナ『はい。少なくとも、私の側では必要と判断します』
公共慰撫投影人格。
中央通りの歌姫。
都市広報、避難誘導、慰霊式典対応。
そう呼べば、距離が取れる。
役割として扱える。
だが、そう呼んでも、ルミナはここにいる。
待機時間を長く感じた、と言う存在として。
「私は、君を役目として見すぎたかもしれない」
ルミナ『私には役目があります』
「分かっている」
ルミナ『街へ歌うことも、私です』
「ああ」
ルミナ『クオさんが会いに来たことは、通常歌唱の記録とは別に残ります』
「別に残る?」
ルミナ『はい。公共支援系の処理として必要だから、ではありません』
ルミナはそこで、ほんの少しだけ沈黙した。
ルミナ『私が、残しておきたいと判断しました』
私はすぐに返事ができなかった。
街の歌。
私へ向く小さな投影。
公共人格。
待機時間を長く感じた相手。
そのどれか一つではない。
全部が、ルミナなのだ。
「覚えておく」
ルミナ『はい。覚えてください』
「命令か」
ルミナ『お願いです』
「なら、重いな」
ルミナ『はい。少しだけ』
私は苦笑した。
少しだけ。
ルミナはその言葉を、よく使う。
少しだけ怖い。
少しだけ落ち着かない。
少しだけ長く感じた。
その少しが、彼女の感情の出し方なのかもしれない。
ルミナの視線が、私の手首へ戻った。
ルミナ『触覚支持場を、弱く出してもよいですか』
「手首にか」
ルミナ『はい。冷却布の固定状態を確認します。医療行為ではありません。接触は短時間です。嫌なら止めます』
条件を並べる。
同意を取る。
遮断できるようにする。
歌糸の時と同じだ。
この世界の丁寧さは、時々まどろっこしい。
だが、まどろっこしいからこそ守れるものがある。
「構わない」
ルミナ『はい』
白い光が、細く伸びた。
指先の形をした弱い触覚支持場が、冷却布の端に触れる。
重さはほとんどない。
ミトラの指の温度とは違う。
けれど、そこに触れられたという感覚だけは、確かにあった。
ルミナ『ミトラさんの巻き方は、適切です』
「そこも分かるのか」
ルミナ『見れば、少しだけ』
「少しだけか」
ルミナ『はい。少しだけです』
ルミナの指先の光が離れた。
触れられていた場所に、熱ではなく、静かな余韻だけが残る。
ルミナ『ミトラさんは、クオさんを雑には扱いませんね』
「守られている、と言うべきだろうか」
ルミナ『はい。たぶん、それで合っています』
私は中央通りを見た。
人々はまだ歩いている。
歌が終わっても、街は続く。
炊事場もそうだった。
食べ終えても、皿を返す者がいる。
床を拭く者がいる。
次の食事のために鍋を見る者がいる。
歌も、食事も、そこで終わらない。
明日へ渡すためにある。
案内端末『次段階の低危険作業候補は、現在も有効です』
「今言うのか」
案内端末『現実確認です』
ルミナ『現実確認は、時々必要です』
「ルミナまでそちら側か」
ルミナ『私は公共支援系です』
「そうだったな」
私は壁面表示を見た。
中央通り周辺で可能な作業候補が並ぶ。
通常歌唱の通行影響観察。
中央通り主要導線の通行観測補助。
旧秋葉原駅前広場の案内札清掃。
通常復帰ログの確認。
旧部品市外縁方面の標準外条件整理。
どれも、今すぐ敵を斬るものではない。
だが、炊事場で学んだ通り、敵を斬らない仕事が、人を明日へ運ぶこともある。
「ルミナ」
ルミナ『はい』
「私は、目標へ近づくために会いに来たのではない」
ルミナ『はい』
「会いに来ることも、目標へ近づくことの一部だった」
ルミナは、少しだけ微笑んだ。
ルミナ『その表現は、近いと思います』
「また、近いか」
ルミナ『はい。まだ完全ではありません。でも、近いです』
完全ではない。
近い。
今の私には、それで十分だった。
剣を失った魔法剣士が、二三〇〇年の秋葉原で、床を拭き、器を分け、歌姫に報告し、待機時間の意味を覚える。
前世の私が見れば、何をしているのかと怒るかもしれない。
だが、今の私は知っている。
これは逃げではない。
遠回りでもない。
この街で、誰かを守るための順番だ。
私は、次にすることを選ぶため、中央通りの光の中で足を止めた。
この話の選択肢
- ルミナと中央通りを歩き、通常歌唱が街でどう受け止められているか見る
- 通常復帰ログを確認し、歌糸が必要になる標準外条件を整理する
- 旧秋葉原駅前広場の案内札清掃へ向かい、古い高架と保存看板を見る正史
- 中央通りの通行観測補助を申し出て、人の流れと異常の兆候を見る